多分、父の誕生日は5月15日だったと思う。でも、今年で何歳になるのかは分からない。

高校1年生の年末。私は、16歳にして、実の父と縁を切った。
その後一度も会っていないし、今生きているのか、死んでいるのかも分からない。
髪の毛が薄くなったのか、シワがどのくらい増えたのか、加齢臭はするのか。想像すらできない。

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私の両親は、私が小学6年生になるタイミングで離婚した。無職の父からお金をもらうことはできない、という母のお人好しな考えにより、養育費の取り決めは行われなかったらしい。それから今日までの14年間、一度も養育費は支払われていない。

両親の離婚直後は「父はケチ臭いし、八つ当たりしてくるような人間だから会いたくない」と心から思っていたが、次第に考えが変わってきた。周りの同級生が話していた全ての「父親あるある」に羨望を感じてならなかった。

そんな私が「久々に父に会いたい」と思うのには、そう時間はかからなかった。高校に入学してすぐ、母から連絡してもらい、父と再会した。

その当日はとても緊張したが、ケチ臭い父がカフェでランチをご馳走してくれただけで嬉しかった。本を2冊贈ってくれた父が格好良く見えた。
そこから、月に1度程度、2人で会うようになった。共通の趣味であるファッションについて話したり、父の趣味である登山に行ったりした。時には、洋服や、登山に必要な道具を買ってもらった。

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当時の私の心の中はグチャグチャだった。

「支払われていない養育費を取り戻そう」
「友人に父の話をできるようになって嬉しい」
「意外といい奴なのかもしれない」
「でも相変わらず自慢が酷くてつまらない」

また別れが来る気がして、好きになってはいけない気がしていた。
そして、数ヶ月後、残念ながらその予想は当たってしまった。

最後に会った日は、2人で地元のショッピングモールに行った。
ある店の前に置かれていたDr.Martinのブーツを見て、私は「憧れのマーチンだ!」と心を躍らせた。
しかし、なぜか不機嫌な父。どうやら、私が買ってくれと遠回しにおねだりしているように感じて、腹が立ったらしい。

「まだマーチンを履くには色気が足りてないよ。パパは自分が気に入ったものしか買ってあげないからね。どうしても履きたいなら履けば」

若干不服だったが、店員さんに頼んで試着をさせてもらった。本当にかっこよかったが、渋々諦めた。そして、父のもとに戻った瞬間に、明らかに不穏な空気を感じた。
父は激昂していた。

「なんなのその顔。買ってもらえなかったからって」

そこから数分間の記憶はほとんどない。大声で怒鳴られ続け、下を向きながら足早に駐車場に向かったことだけが鮮明に脳裏に焼きついている。小さな田舎のショッピングモールだったので、誰か知り合いに見られていてもおかしくない。

年末の17時。交通渋滞に巻き込まれ、2時間ほど、ずっと罵倒されていた。養育費を払っていないくせに、「この数ヶ月で俺が何万円使ったかわかるか?」と激昂していた。

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父から贈られた別れの言葉は、高校生の娘にかける言葉の中で最も最悪なものだった。

「そんなにお金が欲しいなら、おじさんとかと会えば?世の中には、女子高生と会いたいおじさんはいっぱいるよ」

その後、気づけばフェミニズムに強い関心を寄せていた。
家庭に男性がいないことによる経済的・心理的な心細さ。女性の性的対象化。
フェミニズムについて学べば学ぶほど、私が経験してきたことがたくさん議論されており、孤独ではないんだと安心した。
その後、私は救いを求めるように、フェミニズム研究のために大学院に進学した。そこで勉強すればするほど、父親の言動がいかに異常だったかを思い知らされた。彼は最低な人間だ。

でも、もう一度会いたいかもしれない。
エッセイを執筆しながら、自分の本音に驚く。まだ父に期待してしまっている私がいる。父と絶縁したことについて、平気なフリをしているが、ずっと引きずっている。いつまで経っても、「仲良し家族」への憧れを捨てられていない。
ああ、絶縁した父のことを何も考えずに好きになりたい。