誕生日に、人生と世界に絶望してしまった。
最近気づいた。女性や弱者に屈辱を負わせることに凄く敏感な私
今日の朝、Twitterである記事を見つけ、読んでいたらものすごく色々なことを考えてしまい、絶望した。
スラム街のリポート記事で、スラム街での野犬は大変に野蛮で、狂犬病にかかるリスクがあり、ものすごく危険だという記事だ。私は主旨とは違う、スラム街の「様態」について、ものすごくショックを受けた。
それは、スラム街では夜女性一人で歩けばかなり高い確率で強姦されてしまうということだ。
犯人は複数のこともあり、スラム街の住民ではなく、スラム街のことをよく知っている外部の人間だと記事には書いてある。
日本での日常的なニュースでも流れてくることはあるが、強姦という行為は、女性の尊厳をふみにじり、人生を丸ごと奪ってしまうかもしれない、人権を徹底的に無視した最大級に卑劣な行為のひとつであるとおもう。
そういう事件を見るたびに酷い、悲しい、と感じていたが、日本と比べ物にならないくらい治安の悪い場所では当然強姦、それだけでなく強盗、暴力も多発するんだろう。
私は、女性や弱者に屈辱を負わせることに凄く敏感なところがある、と最近気づいた。
最初のきっかけは、小学5年生のときに読んだ少女マンガで、主人公のサッカー部マネージャーの女の子が敵チームの男に皆の前で胸を触られるシーンを見たときだ。
たぶん、後で彼氏の男の子がその男をぶっとばす為に誇張してそういうシーンになったのだと思う。
私の心の中で、性的に侮辱されることに激しく憤りを感じ、悔しくて部屋の中でマンガを片手に持ちながら地団駄を踏みながら号泣した思い出がある。
言葉にできようもない激しい感情の動きに耐えられなくなったのだと思う。
そのあとも映画や小説でわいせつ行為やレイプシーンなど見たが、それらの場面もあらゆる感情とセットになり、記憶に残っている。
女性が屈辱的な気持ちになることを考えるだけで、顔が歪む
もし自分や自分の家族が被害者になったら…。
大切な人が痛めつけられてボロボロになってしまったら…。
自分はそういう事件の被害者になったことはないし、電車の中で痴漢も遭ったこともないが、女性が屈辱的な気持ちになることを考えるだけで苦々しい気持ちになり、顔が歪んでしまう。
被害者が全員女性ではないが、女性というだけで、弱者になる。
女性というだけで、辱められ、軽んじられ、押さえつけてもいい存在になる。
そういう対象になるのがかならず女性というわけではない。
しかしそういった凄惨な事件が繰り返され、それによって深い悲しみの歴史を積み重ねてきたのは女性だ。
女性が自分を弱い立場だと思うと、夢のために生きることが難しくなってしまう。卑屈にならず、自分の命を尊いと知りそれを一時も忘れずに生きていかなければならない。
自分のアイデンティティを後ろめたく思う中、つかめる幸せとはなんだろう。
悲しい事件は毎日世界中で起きている。
女性が尊厳を失わずに強く生きていくことは想像以上に難しく感じる。
私も母と同じ価値観を持っていたのに、この2年ほどで方向がずれた
昨日で27歳になった。
そういえば小学生のときには26歳で子供が二人いてほしいと思っていた。
新卒で働き始めてから4年半経ち、いつの間にか27歳になっていた。
結婚もしていないし、真剣交際している恋人もいない。
友人はちらほらと結婚し始めている。今年の1月には初めて結婚式に参加した。
ほんの少し前までは、いつかは自分は結婚して子供をうみ、それなりの幸せを感じるだろうと思っていた。
根拠はないけど、自分はそういう道を歩むだろうと信じていた。
それが、どうしていつの間にか変わってしまったんだろう。
母は私に強く結婚と出産を希望している。
結婚と出産について、私も母と同じ価値観を持っていたのに、この2年ほどで、私だけ方向がずれてしまったようだ。
恋人もいない27歳は、生活がつまらない、性格に問題があるんだ、と思われるかもしれない。
彼氏ほしくないの?子どもが欲しくないの?
と、聞かれることもある。
学生のときから友人とそういう話題をとりあげることはよくあった。
でも、今の年齢でそれらを質問されるのはなんだか切迫している感じで、リアリティがすごい。
毎日生きるのが精一杯だ。
人生は、楽しいと感じるよりも、大変な、めんどうくさいことが正直たくさんある。
女性であることで、得したこともたくさんある。
私は女性に生まれて良かったと思っている。
しかし、女性であるために、虐げられたらどうしよう?と考えたり、
仕事をする上で、女性だからというだけで存在を軽んじられていると感じることもたくさんある。
結婚も、出産もしたくないかと言われるとよくわからない。
特に子どもを作ることに関しては、最近では、自分のエゴで子どもを作っていいのだろうか?と思う。
子どもに、嫌な思いをさせたくないから、生きている世界に絶望してもらいたくないから。
ひねくれすぎだな、と自分も思う。でも本当にそう思っている。
子どもを持つ自信が無い。
そう思う人はたくさんいるだろうが、こんな理由は、ふつうではないのかもしれない。