その仕事のそばで生きていきたいと思える職場で働き、暮らしたい

こんな生活は、もうやめにしよう。
月曜日から金曜日まで、毎日3時間かかる通勤路で、私は何度も考えました。この生活を続けてはいけない、と。
ラッシュアワーの電車の中には、信じられないほどの人数が詰め込まれています。まさにすし詰め状態で、これといってできることはありません。音楽やラジオを聞くことができたとしても、本当にそれだけ。スマホの画面を見ることなど不可能で、自分の荷物や他人の荷物につぶされながら、次の駅へと運ばれていくのです。
降りる人も、乗る人も、ひと苦労。それが毎日続きます。「こんなのおかしい」と思います。でも、みんな静かに耐えているから。他にも数えきれないほど仲間がいるから。私もその一員として、ただその日々に耐えていました。
でも、次第に違和感は大きくなり、ある時から切実にこう思うようになりました。「こんな生活は、もうやめにしよう」と。
通勤が「悪」だと言いたいわけではありません。通勤時間がゼロの在宅勤務が「善」で、そういう仕事に就くべきだと思っているわけでもありません。でも、たとえお給料やその他の条件がよかったとしても、家から離れた場所に出勤することはやめにしようと思ったのです。
いま住んでいる場所から無理なく通える場所を選ぶか、仕事場に近いところに住むか……。とにかく、住む場所と働く場所を近くしようと思ったのです。けれど、「仕事場に近いところに住む」というのは、合理的なように聞こえて、実は「仕事への愛」が試される選択でもあると私は思います。
以前働いていた職場は、会社を定時(18時)で出られることはほとんどありませんでした。実際には、19時や20時をまわり、外に出ると、すっかり暗くなっているのが常でした。
しかも、私はそこから1時間半の移動が待っているのです。家に着く頃には体力が枯渇するだろうと思いつつ、会社の真横のマンションを眺めていた時、同僚が冗談で私に言いました。ここに住んじゃえば? と。
これは、「仕事場に近いところに住む」の極端な例です。けれど、私は思いました。たとえ家賃がタダでもここに住みたくはない、と。これから1時間半もかけて家に帰るのは、確かにばかげているかもしれません。でも、仕事場の近くに住みたくはありませんでした。
というのも、「通勤が楽になる」以外の魅力がなかったのです。職場のある街に何か思い入れがあるわけでもないし、「休みの日くらい、会社の近くにいたくない」とさえ思っていました。そう思う時点で、私の「仕事への愛」は薄かったのでしょう。
どんな組織で、どんな仕事に従事するかは、もちろん大切です。それに加えて「どこで」働くかも、重要なのだと私は思いました。
仕事内容や人間関係がたとえようもなく素晴らしく、これ以上ないほど自分に"合っている"こともあるかもしれません。どんなに過酷な通勤を強いられても少しも気にならないくらい好きな職場に出会えたら、それはそれで素敵なことだと思います。
でも、現実には、働く前後の時間の過ごし方も、仕事に対する満足度に少なからず影響すると思いました。なぜなら、毎日行くところだから。
2024年の4月から1年間働いていた職場は、自宅からそう遠くなく、休みの日でも行きたくなるところでした。職場のある街自体が好きで、通勤が楽しみ。朝、職場へ向かう道のりも、家へと帰る道のりも、私は大好きでした。
そこで働き始めて1年が経とうとした頃、職場の目の前にマンションが建ちました。私は、ここに住めたらいいのにと心から思いました。「通勤が楽になるから」という理由ではなく、ただ「職場や職場の周辺が好き」という理由で。
この先も、私は、色々な仕事に就くでしょう。もしかすると在宅勤務になるかもしれないし、住み込みで働くことだってあるかもしれない。でも、どんな仕事を選ぶとしても、「休みの日くらい離れていたい」と思う仕事は選びたくないと思います。むしろ、その仕事のそばで生きていきたいと思える場所で働くこと、暮らすことが、今の私の理想です。
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