祖父がこの世を去ってから、二十年もの時が過ぎた。当時小学校へ入学したばかりだった私は、教室の一番窓際の席で「空を見上げるとおじいちゃんが見える」と言っていたそうだ。本当に見えていたのか、授業を聞いていなかったのかなど少々疑問に思う点があるが、その後時は流れ、席が変わり、学年も学校も変わった。そうして私は祖父がいない世界に慣れていった。

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学生でもなくなった現在、私は会社で窓際の席に座っている。しかし窓には小学校にはなかったブラインドがかかっていることがほとんどだし、ブラインドが上がっていたとしても見えるのは横に建つビルのみだった。

会社があるのは、オフィス街であるため当然のことである。そしてもしも空が見えたとしても、小学生の私が見ていた祖父の顔を、社会人になった私はもうどの窓からも見ることができない。私は祖父の顔を忘れてしまったのだ。

この世に私と祖父が共に生きていた六年半の間に過ごしたどの時間も、私は鮮明に覚えていない。何一つとしてだ。

ただ、脳裏に浮かびはしないが、祖父に会いに行った時には必ず手をタッチしていたこと。外食に向かう車の中では、しりとりをして毎度負けてもらっていたこと。お花を買って家族で毎週のように病院へお見舞いに行っていたこと。そんなごく僅かな出来事があったと、“事実”として記憶している。

その他に、最後に話したことはなんだったのか、それがいつだったのかそんなことは全く覚えていない。

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まだつかまり立ちしかできなかった頃から、特になにがなくともニコニコしていた幼い私は、祖父と目が合うと更ににっこり笑ったそうで、そんな私を見た祖父は、「こうしてニコっとされると堪らんなぁ」とこぼし、末の孫娘として大変かわいがってもらっていたそうだ。

そんな祖父の沢山のあたたかい愛情を覚えていないとは、なんともったいないことだろう。私は知っているのだ。愛情は欲しいからと言って買えるようなものではなく、とても貴重なものであることを。

私は、祖父にもう一度会い、祖父のくれた愛情をもう一度感じたい。既に亡くなっている以上、現実として叶うことはないのだが、二十七歳の今、もう一度祖父に会えるなら全てを記憶して何度でも思い出し、その記憶を大切に、そして心の糧として生きていける。

たとえそれがほんの五分であっても。愛情を感じるのに五分は十分な時間である。愛情というものは、目を見つめ合うだけでも十分に感じ取れると思うからだ。

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鮮明な記憶もないにもかかわらず、祖父をこれほど恋しく感じるのは、本当に沢山の愛情を注いでもらった証拠だと思う。きっと今もこの文章を書く私を、私には見えないが空から見守っているのだろうと思う。
もしもう一度会えるなら、愛情を感じたいと書いたが、私にはもう一つ望みがある。私の気持ちを伝えたいのだ。共にした時間こそ少なかったが、貴方の孫として生まれて私は幸せだった、ありがとう。と。