幼少期から謎の母性全開だった私の、ニョキニョキ背伸び人生

幼稚園に入る前から、失礼ながら同年代の子を見かけると「子供っぽい」と感じていて、助けなければならない対象のように思い込んでいた。生まれた時から背伸びベビーなのかもしれない。
スーパーで少しでもお母さんを探すようなそぶりをしていると、私はその子の手を引いてサービスカウンターまで行き、店員に「この子迷子なんです」と預け渡していた。
突然連行された子はみなポカンとしており、今思えばかなりのおせっかいだったと思う。
勝手な思い込みと正義感を振りかざし、謎の母性のようなものを元に行動する性質は今でもあまり変わっていない気がする。
幼稚園に通い始めると毎日洋服を前日に準備して枕元に置いていた。自分なりのこだわりがあり、このスカートにはこのTシャツを合わせるというコーディネートを欠かさず夜に行っていた。母は呆れていたがそれもお構いなしに、幼稚園を「自分の洋服を披露する場」として捉えていた気がする。誰も見ちゃいないのに。
そんな私の将来の夢は、スタイリストだった。親戚に東京のファッションビルに勤めている人がいたため、幼い頃からファッションに興味があった。親戚で集まった時に大人の会話に混ざって話を聞くことが好きだったので、ちょっとおませだったと思う。
小学校に上がり段々と成長するにつれて他者や雑誌モデルと比較して自信が失われていくと、配られたプリントの将来の夢欄にスタイリストとは書いても、内心では全くなれるとは思っていなかった。
中学校に上がると人間関係で挫折して更に自信が失われていき、ついに将来の夢はなくなった。雑誌の広告でよく目にした東京にある名門の服飾専門学校への憧れの気持ちは募ったが、結局自分なんかには無理だろうと諦めた。
背伸びをすると、良くも悪くも世界がよく見えてしまう。自分の無力さや、駄目なところもよく見える。でも生まれついたものや、傷ついて失ったものは変えられないし元に戻せない。だから悩む。
これは今でも母が爆笑しながら人に話すオハコエピソードだが、背伸びベビーだった私は2,3歳の頃、公園で「みゆうちゃん、こんにちは」と他の子のお母さんに話しかけられると毎回決まって当時流れていたCMの真似をしたらしい。
「○○(女性のフルネーム)、52歳!ドモホルンリン○ル、使ってます」
とお母さん方に返していたようだ。
薄らぼんやりと記憶はあって、こういう風にすると人は笑うんだとか反応するんだと思っていた。
この片鱗は今ではあまりなくなってしまったが、美容室などに行くと何か話さなきゃと思って自然とピエロになり、結果面白がってもらえることはある。心開けるような相手といて、気が緩んだ時にも変なことを言う。弟には「ひとりメディア」と呼ばれる。
恋愛相手も今の一つ年下の彼氏が異例なほど基本は年上が好きだし、昔聴いていた音楽も今聴いている音楽もやっぱり背伸びしてんなって感じだし、文学も背伸び(?)しすぎて古典に片足突っ込んでいる。
まあニョキニョキ背伸び人生のおかげで、大多数の人よりもいい意味で変な人間になれたのは良かったかもしれない。オルテガの「大衆の反逆」ではないが、他者と同じであることに満足……しきれないのだ。
一昔前はサブカル系とかいって嘲笑された類の人間かもしれないが、今は時代が変わりつつあり、個性が重視されるようになってきている。
お婆さんになっても背伸びし続けていたら、うっかりちゃっかりあの世が見えてしまいそうだ。
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