時間をかけて作って一瞬で食べ終わる。自炊のコスパにモヤる

私は食べることが好きだ。
マックも好きだし、ガストも好き。サイゼも好きだし、流行りのカフェも好き。
タイ料理やらスパイスの効いたカレーも大好きだし、異国の名前も知らない料理に出会うのも楽しいし、目の前で炎が上がるような高級鉄板焼きや脂の溶けるようなお肉が出てくるレストランも、もちろんわくわくする。
あらゆる「食」に対して好奇心が強くて、味に対する探究心というよりも「食べる」という行為そのものに対して愛着がある。
大抵のものを美味しいと感じる舌なので、食べるもの自体の美味しさにそこまで強いこだわりはない。
誰と食べるか、どこで、どんなテンションで、食べたいと感じるタイミングで食べれるか。
その瞬間を自分の欲に正直に過ごせているかどうかが、私にとっての「食の満足度」につながっているような気がする。
そして、何かを食べるとそれだけでシンプルに機嫌が良くなれる。小さなトラブルも、まあいっかと思える。
それくらい、食べることは、私の毎日の土台であるだけでなくご機嫌な人格形成に繋がっている。
けれど、ひとつだけ悩みがある。それが「自炊」だ。
これだけ食べることが好きで、食べる瞬間に生きる喜びを感じているのに、自炊となると話は別。どうしても、心が動かない。
まず、大抵の場合お腹が空いてから作るというのが無理。
お腹が空いてる瞬間にすぐに食べたい。
それなのに食べたいと思った瞬間から、野菜を切ったりお米を炊いたりする必要があるという「時間差」が、どうしても許せない(作り置きしたら?という声も聞こえるけど自炊行為がそんなに好きじゃないから空いてる時間を自炊に充てたくない)。
しかも、やっと作り終わったと思ったら一瞬で食べ終わる。30分かけて作ったごはんが、10分でお腹の中に消えていく。
「コスパ悪くない……?」と、もやっとする。報われなさが募る。
もちろん、美味しいものができたときの達成感や、素材から完成までを操れるコントロール感が好きな人もいるのは知っている。
YouTubeで“丁寧な暮らし”を発信している人の動画を眺めるのも好きだし、スパイスやこだわりの調味料が並ぶキッチンを素敵だなと思うこともある。
だけど、どうしても自分にはそのモードが馴染まない。毎日フライパンや包丁を見つめながら、自炊するか……と重い腰をあげて作った料理をペロリと平らげ「もうなくなっちゃったよ……」とモヤる日々。
実家を出てもうすぐ4年経つ今も、ずっと課題のままだ。
外食の値段もじわじわ上がっている。生活費の中で食費の比重が高くなるたび、「自炊した方がいいんだろうな」と頭では思うけれど、心がついてこない。
どうしたら、自分の食への思いにぴったりと寄り添ってくれる“自炊”に出会えるんだろう。
もしかしたら私は、自分が作ったごはんでは、“食べたい”という本能的な欲を完全には満たせないのかな。
楽しく食べたいし、美味しく食べたい。
かつ、自分の欲にまっすぐでありたいと思っている。
そのバランスの中で、自炊はまだ私の中でしっくりくる形を見つけられていない。人生のどこかで、「これなら続けられる」という自分なりの答えに出会える瞬間を待っている。
食べることは、生きること。
だからこそ、心地よく食へ向かい、心地よく生きる自分でいたい。
今日もまた、料理するかしないかの葛藤を抱えながら、食べることにご機嫌を取られている。
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