「子供が私でよかった」初めて父親から心の内を聞けた日の嬉しさ

私の家庭環境は少し複雑だった。幼少期の物心ついた時から、両親はよく喧嘩をしていた。
小学四年生の時、新しい家が建った。注文住宅だったため、両親の意見のすれ違いが多く、喧嘩が絶えなかった。家が建ったことはすごく嬉しかったけど、引っ越してからも喧嘩が多く、家に帰りたくないと思うことも多くあり、帰りたいと思える場所ではなかった。
高校ニ年生の時に、母親が家出を繰り返した。母親は不倫をしていたらしい。
家出をしても一週間もすると家に帰ってきて普通に暮らしていたが、ある日リビングに行くと母親が金庫からお金を持って行くところを見てしまった。
また明日出ていくんだなと一瞬で確信した。
次の日案の定母親は私を高校まで送ると、そのまま帰ってこなかった。父親と探し回ったが連絡もつかなかった。二週間ほど経った頃、父親に連絡が来たらしい。
私と弟は、もう離婚して欲しいと父親に言った。心が限界だった。そして、両親は離婚して、父親と弟と三人暮らしが始まった。
三人での暮らしは大変だった。私も弟も部活動をしていたが、三人で家事を分担した。
両親の喧嘩の日々からは解放されたが、慣れない生活でみんなそれぞれストレスが溜まっていた。父親は時間やマナーにとても厳しく、大学生でも門限は厳しかったし、報連相にもかなり厳しかった。
大学生になり、周りの友達はみんな車の免許を取っていたし、車で通うのが当たり前だった。だけど、私は車の免許を取らせてもらえなかった。お金がないと言われた。原付の免許を取れと言われ、知り合いから中古の原付を買って、十八キロもある大学までの道のりを原付で通っていた。
思い通りの生活とは程遠くて、早く一人暮らしをしたい気持ちが強かったし、家事をやらなくてはいけないこともストレスだった。
あの時、両親の離婚を望んだはずだった。その事に後悔はしていないが、父親と早く離れたい気持ちが強かった。なんでこんなに我慢して縛られた生活をしなくてはいけないのかとストレスが溜まっていた。
二十四歳で念願だった一人暮らしを始めた。寂しい気持ちもあったが快適だった。
父親から解放され、自由な生活を手に入れた。同時に彼氏もできた。そして、たまに実家に帰るという、父親との程よい距離感がちょうどよかった。
二十六歳で、彼氏と結婚した。結婚式はしないつもりだった。新婚旅行でウエディングフォトを撮って写真を父親に見せればいいと思っていた。
写真を父親に見せるために実家に帰った。「結婚式は親のためにとかは考えなくていいけど、後悔だけはしないほうがいいよ」と父親に言われた。
正直、ウエディングフォトを撮ってから結婚式をやるか迷い始めていた。「親は結婚式やって欲しいのかもね」と旦那に言われ、親族だけの結婚式を渋々行う事にした。
結婚式の日、最後の両親への手紙で、私は号泣してしまった。手紙を書いている時から、色々思い出して泣きそうになっていた。
あんなに、距離を置きたいと、むかつくと何度思ったかわからない父親との思い出が次々と思い出される。手紙を読んでいる間、父親も号泣していた。
結婚式が終わった後に、父親から長文のメッセージが送られてきた。そこには、今まで色々と我慢させてきて申し訳なかった事、自分の子供が、私でよかった事、私への感謝の気持ちが色々書かれていた。
父親があのとき思っていた事を含めて心の内を私に素直に話してくれた事が嬉しかった。父親に感謝の気持ち、私が思っていた事も伝えられて、初めてしっかりと父親と本音を語れたような気がした。
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