私は、幼い頃からずっと、「転校生」ポジションだった。

親の仕事の都合で、物心つく前から全国を転々とする日々を送っていた。もともと社交的とは決して言えない性格で、新天地では毎度、苦労が絶えなかった。

最初はみんな珍しがって「友達になろう」と親しげに声をかけてくれる。だけどその中から、本当にちゃんと友達になれる人と、ただ珍しいものが好きなだけで、私を「転校生と友達になれる自分のステータス」として扱う人を見極めなければならなかった。

見る目が養われた、なんて言えば聞こえはいいかもしれない。けど本人にしてみたら、そんな苦労を知る由もない。生まれたときからずっと同じ場所で成長してきたクラスメイトたちのほうが、よほど人間として真っ当な生き方をしているように見えた。

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同級生たちよりも早く親元を離れ、高校の頃は祖父母の家で下宿生活をしていた。
転校が多かった幼少期、私は夏休みに祖父母の家に来ては「わたし、ここに来るとホッとするんだ」と言ったらしい。

本人にはそんなことを言った記憶はまったくないのだけど、時折、祖母がふと思い返してそれを話すことがある。「あなたは、小さい頃から『ふるさと』がなかったからね」と。
その度不思議な気持ちになる。私には本当に、「ふるさと」はないのだろうか?

確かに、普通の人よりも「ふるさと」に対する憧れが強い自覚はある。
定住の地がない子ども時代。幼馴染という存在が羨ましかった。気心知れた、毎日当たり前のように顔を合わせ、他愛ない話をできる相手。

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どこに行っても、ずっと余所者として生きていくしか選択肢が与えられなかった。それに対する悲しさというか、やるせなさのようなものが心の中に蓄積していた気がする。

でも、そんな余所者同士のコミュニティもあった。小さい頃は社宅に住んでいたが、同じように転校生として生きている同じ年頃の子どもたちと、毎日、日が暮れるまで遊んでいた。親の転勤が決まれば当然のようにバラバラになるような儚い交友関係だったけど、今でもふと、日に焼けたその笑顔を思い出すことがある。携帯なんて持っていない時代だから、今は連絡を取ることもできないけど、元気でいてくれたらいいと思う。

社会人になってしばらくして、10年前に暮らしていた祖父母の家にまた戻ってきた。
地元の企業に転職し、地域に密着した仕事を日々こなしている自負がある。
田舎のコミュニティならではの狭苦しさには、ときにうんざりすることもある。だけど助け合いや分け合いの精神が根付いているこの土地は、日々を平穏に過ごしていくには悪くないところだ。

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一番うれしかったのは、ちゃんと自分がこの地の人間だと認識されるところ。
この前、観光客に道を訊かれた。

「あちらに行けば駅があって、反対に行けばお土産屋さんがありますよ」。
何気ないその一言を、自分の口から発せられたことがうれしかったのだ。

私はもう、余所者じゃない。この地域で根を張って生きている人間なのだ。そう思えた。
どこに行ってもお客様扱いで、「どうせすぐに他のところに行くのでしょう」。そんな言葉をかけられることはもうない。
そんな小さなことが、どうしようもなく幸せに思える。

現状が最適解かはわからない。けど、私は今、毎日に満足している。
当面は、不便だけれど温かいこの地で生きていくつもりだ。