私己を殺すくらいなら「お腹が痛い」と休めばいい

エスカレーターに乗っていると、階下の池袋駅コンコースへ降りたくなる。学生時代、某百貨店内スーパーのレジ係になり、アルバイト先へと向かう道中だった。
日本のサービスは、ときに過剰だ。お惣菜は、1パックごとに袋詰めしてテープで止める。持ち帰りにかさばる長ネギは、半分にカットしてあげる。普段まともに料理をしないので、「カリフラワーも切って」とお願いされた時は焦った。
バーコードを読み取った商品はカゴのなかへ、まるで3Dのテトリスのように積み上げていく。基本は、硬くて重いものを下に、軽くて柔らかいものを上に。ひとたび順番が狂えば、せっかく買ってもらった卵やパンをつぶしかねない。一度だけ、熟した半切りメロンに、豆腐のパックをのせたら「それは違う」と注意された。メロンの方が重いはずなのに、なぜ。現実は、ゲームと違って複雑だ。
死んでしまったお魚たちは、どれも似たり寄ったりに思える。ただ、種類の見分けがつかないことには、タッチパネルから値段が選べない。ポリ袋に入った青魚を前に手が止まり、やむを得ずお客さんに尋ねる。
「すみません、イワシで合ってます?」
「いや、アジ」
ええい、ややこしい!
値引きシールの見落としは、どんなに気を付けても直らない。閉店後のレジ締めは、手順が複雑で覚えるのが難しい。結局、3か月でバイトをクビになった。ハタチそこそこの年齢だったが、「お金を扱う仕事には二度と就くまい」と誓った。
社会人になっても、持前の不器用さは健在である。転職先の上司から、「教わっている時はメモをとろう」と注意されて、そんな基本すらできていない自分に驚いた。何をやっているんだ、28歳成人女性。おのれの不甲斐なさに落ち込むが、目の前の仕事がなくなる訳ではない。つべこべ言わず、パソコンの画面と紙の資料とを見比べる。眼鏡にマスクをしていれば、涙の1粒や2粒、ばれやしない。
アルバイトを辞めたあの時、同級生の前では笑い話にしてみせた。1人になって、たくさん泣いた。強がりで、見栄っ張りで、本当の気持ちを隠して生きている。
「いつか上司に心のすべてをぶちまけてやろう」と思う。いざ面談で相対すると、怒りも悲しみもすべて引いていく。「心のドアを閉じる」なんて常套句、簡単には使いたくないが、本当に、閉じるのだ。たかが歯車の癖に、文句をたれても仕方がないと誰かが言っている。
ダメ人間なりに、処世術だけは身についた。最低限の愛想と礼儀と協調性さえあれば、どんな戦場でも意外と重宝される。から元気は慣れっこ、いさかいとも無縁の人生だ。
時には手を抜くことを覚えた。己を殺すくらいなら、お腹が痛いとでも言って1日布団にもぐっていればいい。翌朝、穴を埋めてくれた同僚への「ありがとう」と「ごめんなさい」を欠かさない。
労働をあおる自己啓発書に、このハウツーは載っていない。書店の入口に平積みされたあの本たちは、立ち読みくらいがいい塩梅だ。
会社と心中するつもりはさらさらない。けれど、無責任に仕事を投げ出すこともできない。
志は低くても、キーボードだけは高らかに鳴らせ。
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