朝刊の音と共に眠り、綴った実習記録と課題の地獄

大学生の課題。永遠に終わらなかった。気づけば外が明るくなっていて、家を出る時間がやってきた。
大学3年の時の話だ。後期になると実習が始まった。記録を毎日書かなければいけないので、実習が終われば、残りの時間でいかに早く記録を終わらせるかが当時のミッションだった。実習の記録には、自分がしたこと、その反応、次はどのように修正するか、などが必要である。座学しかしておらず、社会や実習先の雰囲気など知るすべすらなかった一人の学生が、必死に頭を悩ませて、やっとの思いで書き連ねていた。翌日、担当教員のもとへ見せに行けば、赤ペンでの修正で用紙が埋まる。改善点が山のように出てきて、私が書いた文字よりも多く赤が埋まっているように見えた。真っ赤に染まった記録を持ち帰り、修正をして、新しい記録を書く。実習の期間はほとんど毎日それが続いた。
科目によっては記録が短くても良いとされるものもあり、要領を掴めた科目はスイスイと記録を終えられる。しかし、私は要領がいい人間ではないので、時間がかかる記録のほうが圧倒的に多かった。
朝早く家を出て、実習を終えて家に帰ると、待っているのは記録地獄。レポート用紙が何枚必要かわからないが書く量だけは尋常ではない。いつ終わらせられるか目処が立たず、食事も入浴も睡眠も削らなければいけないということだけがわかった。案の定、記録を書き始めると、簡単には手を止められない。できるだけ考えがまとまっているうちにペンを進めなければ、書いている内容に整合性がなくなってくるのだ。
キリが良いところまでは必ずやり切ることを徹底しなければ記録が書けなかった。今思い出しても、いつご飯を食べていたか思い出せない。入浴もしていたはずなのに、記憶がすっかり抜けている。それだけ時間的余裕はなかった。ただ、睡眠を削ったことだけは記憶している。
記録は、いくら書いても終わらない。次の修正アイデアを考え、修正すればどのような効果が見込めるのかを考えるが、肝心なアイデアが浮かんでこない。時間は容赦なく進む。時間が経てば、寝られない可能性が確定に変わる。だんだん確定に近づけば、集中力も散漫になり、もう寝られないのであればと自暴自棄になることもしばしばあった。それでもなんとか、30分でも寝られるようにとペンを進めた。途中、どうしても睡魔に襲われたときは布団へは入らず、椅子に座ったまま10分や20分など短い時間で仮眠をした。このタイミングも、記録が一段落ついたときだ。仮眠を取って、時計を確認すると、深夜3時。まもなく夜明けの時間が迫っている。
早く記録を終わらせなければ、起床時間になってしまう。当時の起床時間は朝の5時。ただでさえ朝が早いのに、睡眠時間を削られ、というかほとんど寝ていない状態でいつもどおりのパフォーマンスを求められた。記録がやっと終わったと思ったとき、外からはバイク音が聞こえた。新聞配達のバイクの音だ。朝刊が配達される時間まで、ほとんど一睡もせず記録を書き続けた。睡眠時間は2時間ほど。ひどいときには一睡もせずに夜が明けることもあった。家族にも気づかれ、心配されるほど睡眠がとれない日が続いたこともあった。それでも担当教員からは真っ赤な添削が返ってきて、また修正から記録が始まる。最終日、記録を完全に提出するまで繰り返し、科目がすべて終わるまで続いた。
眠れないことも、食事や入浴など生活に必要なことを削る対象にしなければいけなかったことも、ここまでしなければ朝を迎えられなかったことも、厳しい時間を過ごしたと思う。もう二度と戻るものか、とも思う。人としても、持っている知識も拙い一人の学生が負うには大変すぎる課題だ。
朝が来るまで粘り続けた課題。家にいる時間をすべて記録に捧げて、眠らずに過ごした時間は、大学生だったからこなせたのだろう。今では眠らないなどありえない。睡眠は何よりも大切だと思っているので、眠れなかったあの日々はもう過ごせないだろう。実際、睡眠時間が少ないだけでかなりストレスを貯めてしまうことも実証済みだ。朝が来るまで寝られなかった大学生のあのときは、いい経験として置くことにしよう。
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