人の目に触れる文章を書くにあたり、注意していることは山ほどある。ありきたりではあるが、やはり言葉のチョイスにはこだわらざるを得ない。

どうしても専門用語やネットスラングを使いたい時は軽く説明を挟むようにしている。
難関は方言だ。地域性を出したくないため、なるべく方言も使いたくない。でも方言は方言だと意識しないで使っていることが多い。アラサーになっても、これって方言なの?と驚くことはちょいちょいある。方言は落とし穴だ。

いちばん危ないのが、自分や家族間だけで通じる独自の言葉や表現だ。私の場合、オノマトペ(擬音語)が独特らしい。

私はじっとしているのに突然心臓が暴れる時がある。恐らく不整脈なのだが、その心臓の暴れ具合を「心臓がみょんみょんする」と看護師さんに伝えたところ、症状による深刻さよりも表現の面白さが伝わってしまった。でも、みょんみょんはみょんみょんとしか言いようがなくて不服だった。みょんみょんじゃない時は心臓がどんどこの場合もある。

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そんな私のお気に入りの独自語は「うろんころん」だ。私の親族発祥である。意味はうろちょろと同義だ。
うろんころんがお気に入りと恋人に話したところ、恋人もうろんころんが気に入った。

そして恋人は「〇〇うろんころんって交換日記をやろう(〇〇は住んでいる町の地名)」と言い出した。その名前だと旅行記や街歩き備忘録みたいな感じじゃないかと伝えると、確かにと納得していた。

しかし、交換日記をやるのは楽しそうだ。うろんころんはさておき、交換日記を始めることにした。

世のラブラブカップル達もすなる交換日記といふものを我々もしてみむとて、するなり。そんな日本でいちばん有名な日記の書き出しのオマージュで交換日記はスタートした。世のラブラブカップル達が交換日記をしているかどうかは分からないし、気合いを入れた書き出しはスルーされてしまったけれど。

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最初は何を書けばよいかわからず、交換日記というより連絡帳のようだった。でもお互い忙しくなってきたので、連絡帳だとしてもとても活躍するだろう。次第に私は今日の出来事を思い思いに書き、思い出したかのように相手の日記内容に応えるようになった。

恋人は絵が上手なため、日記の内容に応じて絵を描く。絵が上手でも、日常的に目にする機会はない。日記のおかげで恋人の絵が見られるので、とてもうれしい。

対して私は絵が描けないので、その日に行ったカフェのショップカードを貼ったり、シールでデコったりしている。

そして何故か日記上だと、お互いですます調になる。それがとても新鮮だ。ですます調になるからか、妙にかしこまる。そして謙虚になると言えばよいのだろうか。お互いへの感謝を述べたり、称えたり、褒めたりしている。

そのためメールのやり取りや面と向かった会話では見えない一面が見える。特に恋人は年齢や性別的なもので、普段の振る舞いがちょっと偉そうな感じになりがちだ。そのため日記の中での謙虚なかしこまった感じがより新鮮に思える。

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日記が戻ってきたら何を書こうかなとわくわくするのは言わずもがな。日記用のネタとして、わざわざ話すことでもないけれど、シェアするとちょっとうれしい小さな幸せを日々の中で探すようにもなった。

実際に日記に書くかどうかはタイミング次第だが、この心がけは精神衛生にとても良い。また、交換日記用に素敵なノートはないかなと、文具コーナーを見かけるとつい寄ってしまうようになった。日々の楽しみ増えまくりである。

そんな感じで、まだ数往復しかしていないが、とっても楽しい。こんな楽しいことを思い付いて、提案してくれた恋人に感謝である。

そう言いつつも、今、私の手元に日記があるのだが、少し筆が重い。日記が戻ってくる直前に、少しケンカっぽくなってしまったからだ。もうギスギスはしていないけれど、なんか気まずい。私は口からのごめんねよりも、書くごめんねの方がハードルが高いようだ。

でも、まだまだ私は交換日記を続けたい。私は少しため息をついて、重い筆を執った。