久しぶりにミサンガを作っていた。高校生くらいまではよく作っていたのだが、最近はまったくだった。

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なぜ急にミサンガなのかというと、先日上司とした会話がきっかけだ。
上司と話している中で、どんな流れだったかあまり覚えていないが、趣味の話になった。
上司はハンドメイドが趣味なようで、ポーチなどを作っているらしい。恥ずかしがって、自分で作ったものを見せてくれないが、気が向いたら見せてほしいものだ。

その趣味の話の流れで、上司は私に「何か作ったりすることってある?」と訊いてきた。

「ミサンガなら、小学生のときから作れますね」

私はそう返した。
そのあとも会話は続いたのだが、私は頭の片隅で「久しぶりにミサンガを作ろうかな」と終始思っていた。

そんなことがあり、私はミサンガを作り始めたのだが、これがなかなかうまくいかない。
1時間ほどかかって、ようやくミサンガ作りが順調に進み始めたとき、ふと高校生のときに好きだった人のことを思い出した。

そして芋づる式に、『かがみよかがみ』のエッセイ募集のテーマに『私が好きだった人』があったことも思い出す。

そうして、急いで文章を書いている今に至る。

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ミサンガを作り始め、なぜ昔好きだった人のことを思い出したのか。

匂いで特定の人を連想することがあるように、私はミサンガを作るという行為で、その人のことを思い出したのだと思う。

私は高校生のときに、好きだった人にミサンガをプレゼントしたことがある。
それも、ストライプやチェック柄といったスタンダードなものではなく、相手の好きなキャラクターをミサンガで描いたのだ。
我ながら重いことをしている。絶対に迷惑だっただろう。今ならそんなことはしないし、むしろできない。
けれど、当時はそれくらいに相手のことが好きだった。

今は連絡も取っていない。相手が今何をしているかも知らない。相手も、私が何をしているかなんて知らないだろうし、興味もないだろう。

あのときの私が、今の私の状況を知ったら、驚いて飛び上がるだろう。そしてこう言うのだ。

「あんなに好きだったのに、あきらめたの?」
何度告白したかわからない。そしてそれと同じ回数だけフラれた。
理由は、あの当時から明確だった。

私が好きだった人は、女性だった。
もちろん事実である。これはエッセイで、小説やフィクションではない。
かといって、同性愛者なのかと問われれば、イエスとも言いがたい。

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私が同性を好きになったのは、高校生のときの1回きりだからだ。
同性愛ものの小説や漫画を読むと、こんなことが書いてあることが多い。

「それは、憧れを『好き』だと勘違いしているだけではないのか」
今思えば、たしかにそうだったかもしれない。『憧れ』と『好き』は隣り合う、似たような感情だというのも理解できる。それに、学校という環境がそういう勘違いを生んでしまうのかもしれない。学生を終えて社会に出てみると、学校がいかに特殊な場所だったかがよくわかる。

けれど、そう言うのなら、あのときの私の気持ちはなんなのだろう。
一緒にいても緊張してうまく話せなかったり、ほかの誰かと親しげにしているところを見て嫉妬したり、なんでもないメッセージのやり取りがとても嬉しくて舞い上がったり。

これらの、私の中で生まれた感情に嘘偽りはない。そう信じたい。
私はあのとき、彼女に恋をしていた。
憧れではなく、間違いなく恋愛だった。

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さて、久しぶりに作ったミサンガは、序盤こそ手間取ったが、こうして完成形を見るとまあまあである。あと何本も作れば、出来はよくなっていきそうだ。うまく作れたら、彼にプレゼントしようか。

1回1回、丁寧に糸を結んでいく。失恋の記憶を少々と、新しい恋愛の気持ちをたくさん込めながら。

私には今、好きな人がいる。