最初の印象は、なんか変な人だな、だった。

大学に入って間もない時期、ボランティアの説明会で講師として現れた彼は、とにかく冴えなくて、ファーストインプレッションは、漫画でよくある「ビビッとくる」なんてものとはまったくの対極だった。

使い古されてよれたネルシャツ、色の痩けたジーンズ。

一つひとつ彼の身なりを言葉で表現しても、よってたかってどれもネガティブな表現にしかならない。つまるところ、お世辞にもかっこいいなんて言えない人だった。

◎          ◎

極め付けはその髪型。
無造作に絡まりうねった黒髪が、波打ち際に寄せ集められた昆布のように頭の上に乗っている。見るからに、何も手入れをしていない天然パーマ。
いつか動物番組で観た、飼育放棄された汚れだらけのプードルを彷彿とさせる。
たぶんあまり関わり合いにならないほうがいいと、このときは確実にそう思っていた。

しかし、そうはならなかった。
ことあるごとに学内で顔を合わせては、私の頭の先からつま先を眺めた後に「どうだ、調子は」なんて訊いてくる。
調子はどうだって、いつの時代の人なの?と思いながら、まずまずですとか、あんまりよくないですねとか適当に返していた。自分で訊いたくせに私がそう返事をすると「あ、そう」とそっけない。何が目的なのか、よくわからなかった。

◎          ◎

学年が上がって、壊滅的に理解ができない統計をやらなければいけない時期が来ると、彼はふいに、「勉強会を開催するから来い」と私に言った。
初めは同級生が数人いた勉強会だったのに、次第に人の集まりは悪くなった。みんな最初に教われば理解できる出来のいい人だったからかもしれないし、はたまた、最初から彼が仕組んだ罠だったのかもしれない。ともかく彼と私はなぜか、放課後に二人きりで統計を予復習する仲になった。

統計、なんて一丁前に言ってみたが、実際は中学高校の数学。ときには数学ですらなくて、こんなの算数の知識だと言われたこともある。

いずれにせよ、数字を見ると頭が痛くなって一切の思考を止めてしまう私にとっては、しばらくは拷問のような時間だった。

でも、よく言えば懇切丁寧、悪く言えば諦めの悪い彼の熱血指導によって、解ける問題が少しずつ増えていくと、彼は「ほら、できるじゃない。ちゃんと方法がわかればどうってことないでしょ」と褒めてくれた。
まだ私にも伸び代がある。そう思わせてくれるのが彼は誰よりも上手だった。昔、塾の講師をしていたということを後から聞いて得心した記憶がある。

◎          ◎

日々、学校が閉まるまでそんなことを繰り返して、いつの間にか、駅までの帰り道を並んで歩くことが日課になった。
そんな日課に違和感を感じないほど当たり前になりつつあった日に、彼が突然、私に切り出した。
「ずっと、言おうと思っていたんだけど」

いや、「突然」だなんて、あまりにも自意識過剰かもしれない。
いつしかずっと待っていた。何気ない会話が嬉しくて、ただの先輩後輩じゃないその先の関係になれることを。
無意識に、彼の好意を引き寄せるために、私はさまざまなことをしていたように思う。

「あなたが僕からの申し出をOKするなんて思えない。だから伝えられるだけでいい。返事なんてしなくていい」
臆病なあなたが、一方的でこそすれ、その告白を口にするまでにどれだけ葛藤したか、誰よりもよくわかっている。

◎          ◎

「今言ったことが本当なら、少しだけ近くに来てくれませんか」
そう返した私の心がどれだけ震えていたか、あなたは知らなくてもいい。
あまりにも優しかった初めての抱擁が、今でも鮮明に思い出せるなんて、あなたはずっと知らなくていい。

あれほどカッコ悪いと思っていたくしゃくしゃの髪の毛は、近くに寄るととてもとても、優しい匂いがした。
お日様の陽気をたくさん吸い込んだような温もりの香りだった。
男の人とハグをするなんて初めてなのに、なぜかずっと前から知っているような感覚を今でも忘れない。

◎          ◎

さようなら。
その日からあなたと過ごした数年、後にも先にもこれほど美しい時間はなかったように思う。
まだ覚えているなんて、思わなかったでしょう。
だって私、あなたのことを限りなく愛していたから。