飽食の時代に生まれた私にとって「食べること」は沢山ある選択肢の一つに過ぎない。
旅行に行きたい、おしゃれをしたい、皆が持ってるあの物が欲しいと思えば、少しでもお金を貯めるために「食べない」選択をするし、同年代の子達も「食べない」選択をすることで、他者が羨むような美しいスタイルを手に入れている。

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「食べない」ことは、私の夢を叶えてくれる劇薬のようなものだ。
食べなければ死ぬと分かっていながらも、私たちは叶えたいもののために、食べることを放棄する。これは努力だ。だからこそ、そこに大人達の助言が入り込む隙間は存在しない。

ただし、この考え方が一生通用しないことも、自らが望まなくなることも、私は知っている。

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私は学生時代、栄養士の免許を取得するために高齢者施設の郊外実習に参加していた。

当時、栄養士が管理する1食あたりの塩分量は2.1gと定められており、毎日の実習でどうすれば2.1g以内に収まるのか悩み、塩分量を無理やり少なくした献立を考案した結果、食べる気が失せるような食事を作ってしまった経験は数えきれないほど存在する。

そのため、郊外実習で高齢者施設を選択したときの私は、さぞ薄味なのだろうな……と考えていた。

しかし、この考え方は見事なまでに裏切られた。

高齢者施設で作った料理は、私たちが普段から食べるようなカレーやハンバーグ等が並び、最終日にはお寿司バイキングとあまりに美味しかったのだ。

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そこは決して高級有料老人ホームではなかったし、どう考えてもこの味を出すためには塩分量2.1gは超えてしまう。
こんなの学校では習っていないし、教員に叱られるに違いない。

そう思った私は、最終日に「なぜあんな献立を作るのか」と栄養士に質問をした。

栄養士は「何も考えずにあの献立を作った訳ではないんですよ」と答えた。

「では、私たちが実習に来たから特別にあの献立にしたのですか?」
栄養士は首を横にふった。

「いいですか、貴方達にとっては数ある実習先の1つにすぎませんが、ここにいる利用者さんたちにとって、ここは余生を過ごす最後の家なのです。それなのに、そこでは自分の食べたいものも決められず、あげくの果てに毎食出される食事が美味しくなかったらどうなると思いますか?」

「彼らは食べなくなるのです。私たちが塩分量を気にして、たとえgの中に収めたとしても、美味しいと思ってもらえなければ食べてもらえなければ、どんどん痩せてしまい、結果的にそれが病気につながるのです。だからこそ、毎日の食事が美味しいと感じてもらうことが何より大事なのです。それに、だからといって塩分を過度に超えてよいという理由にはなりませんから、ちゃんと1週間の献立を通して調整していますのでご安心くださいね」

驚いた。私にとって食べないことと、ここにいる人たちの食べないことはまるで意味が違う。

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食べたいと思うこと、美味しいと思えること、食べられること、その全てがまさに明日を生きることに繋がるのだと強く実感した。