春分を過ぎ、日の出が早くなってきた。我が家は東向きなので、朝は暴力的な日差しに見舞われる。私は朝が苦手なので、わざわざ東向きを選んだのだが、これほどまでとは思わなかった。夏はもっと壮絶である。

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朝日で目が覚めたのだが、体は重いので、起き上がるのは大変だ。まるで一度破れたラスボスに再び立ち向かうべく、傷付いた体を起こそうとするアニメの主人公のようである。何故そこまでして起きようとするかというと、洗濯機を回すためだ。タイマーでいいじゃんと思うかもしれない。しかし、節約のためにお風呂の残り湯を、一人バケツリレーしているため、タイマーは使えないのだ。一人暮らしを始めて1年以上経ってから、洗濯機で手動で水を投入できるタイミングを見付けた。以来、洗濯する時は必ずバケツリレーだ。もうそろそろ、お風呂と洗濯機を往復している間にバケツをひっくり返す悲劇を起こしそうである。

私は気持ち良く晴れていると、「お出かけしよう」、「お散歩しよう」ではなく、「洗濯機を回そう」と思う。ここぞとばかりにシーツなどの大物を洗う。大物も含め、回せるほど洗濯物がない時は回さないのだが、こんなに晴れているのに、なんだかとんでもない贅沢をしているのではないか、と落ち着かない。予定が入ってて洗濯どころではない時は、洗濯したかったと心の中で地団駄を踏んでいる。

洗濯機が頑張ってくれている間も、私は布団を干したり、畳んだり、水やりをしたり、ごはんを食べたりと忙しない。やっと一息というところで、地獄の呼び出し音が鳴り響く。今か今かと待ち構えている時には鳴らないのに、ここじゃないタイミングで鳴るのは何故だろうか。洗い終えた洗濯物は時間を置くと臭くなるので、火急速やかに干さねばならない。

そうして洗濯物を干し終わり、まだ朝なのに、これからの予定もあるのに、ひとしきり私は疲れてしまう。ついさっきまで寝ていたので、眠気はすぐ隣にいる。朝の暴力的な日差しは和らぎ、春らしくぽかぽかしている。たまらず私は布団に倒れ込んだ。畳まれた布団に上半身、カーペットに下半身を預けてウトウトしている。滑稽なこの姿を、なんか詩とかで表せそうだと思った。「床で寝る、お布団さんのありがたさ」。疲れてて眠い今の私には、こんなしょうもない一句が精一杯だ。

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うつらうつらしつつ、布団を「お布団さん」と呼んでいた人のことを思い出した。本名も知らないその人は、ツイッターで繋がった人だった。素敵な方だった。病気で若くして亡くなったので、もう会えない。突然の別れだった。病気であることは亡くなってから知ったため、ショックが大きく、とてもとても悲しい時間が続いた。今、思い出しても悲しい。お布団さんという言葉遣いから分かるように、かわいいものが好きで、かわいらしい方だった。そして言葉の節々からは品の良さを感じた。そう、まさしく素敵という言葉が似合う人だった。実際にお会いした時も素敵な人だった。過去形ばかりなのが辛い。

ネット上の交流は不思議なものだ。希薄と思われがちだが、顔を合わせた付き合いよりも、深く繋がっているような気がする。私がSNSを頭の中や心の中をぶちまけるようにして使っている影響もあるのかもしれない。SNS上の知り合いを、ネット上の親せきと称していた人がいたが、まさしくその通りだと思う。もっとも、最近はSNSで発言することが減ったので、そういう交流がないのだが。素敵なあの人がいなくなって、そういう交流が徐々に減っていって、今がある様な気もする。

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素敵なあの人にもう一度会いたいとか、そんな贅沢は言わない。ツイッターなんてやめちゃってもいいから、ただ、元気でいてほしかった。

めそめそしながら起き上がった。予定があるので寝ていられないし、泣いてもいられない。私はお布団さんに別れを告げて、身支度を始めた。