彼女は確かに私の中で生きている。今日も一緒に精一杯、生きようね

「娘の分まで精一杯生きてね」
あの日、友人のお母様がかけてくださったこの言葉を、私は10年経った今でも、あのたたみの匂いと共に思い出す。あのときの表情、その場の空気、すべてが私の心に深く刻まれている。
小学5年生の春、私の大好きな親友が急逝した。幼稚園が一緒で、アルバムを開くと私たちはいつも手をつないで、カメラに向かって笑顔でピースサインをしている。優しくて、笑顔が素敵で、思いやりにあふれたその友人は、私にとって誇らしい存在であり、少しだけ自慢でもあった。
小学校は学区の関係で離れてしまったが、年賀状のやりとりは毎年続け、中学校での再会を私たちは心待ちにしていた。いつか一緒に通学路を歩いて、制服を着て、お話をしながら学校へ向かう日が来ると、疑わずに信じていた。
春の光がやわらかく差し込む朝、彼女の訃報が届いた。信じられなかった。悲しいとか、辛いとか、そんな言葉では言い表せない、なんとも形容し難いこの感情と、理解が追いつかない現実に、私は涙すら流せなかった。10歳の私には、あまりにも突然で、あまりにも酷な出来事だった。
数日後、母と一緒に彼女の家を訪れた。友人のお母様の覇気のない表情に触れて、ようやく「これは現実なのだ」と受け入れざるを得なかった。涙が止まらなかった。頭が混乱し、心がどうなっているのか、自分でもよく分からなかった。ただ、胸の奥がずっと強く締めつけられていた。
お部屋に通され、座ったそのとき、ふと横を見ると、そっと置かれた可愛らしく装飾された小さなお骨箱が目に入った。そのとき友人のお母様は、私にこう声をかけてくださった。
「来てくれてありがとう。きっと〇〇も喜んでると思う。周りの人にたくさん頼って生きていいんだからね。娘の分まで、精一杯生きてね」
私は「はい」としか言えなかった。精一杯の「はい」だった。
帰り際、笑顔で友人の遺影に向かって「また来るね」と言いたかった。でも言えなかった。言葉にしてしまうと、なんだか死を認めることになってしまいそうで、怖かったのだ。
それからの私の10年間、思い返してみると、辛いことや「乗り越えられない」と感じてしまうような壁に、何度もぶつかってきた。しかしそのたびに、心の中にいる親友のことを思い出して、最後のもうひと踏ん張りをすることができた。
嬉しいことがあった日は、心の中で親友と分かち合い2倍にした。苦しいことがあった日は、心の中で半分こにした。どんなに孤独を感じる瞬間があっても、私は一人ぼっちだと感じたことは一度もなかった。彼女が、ずっと私の心の中で一緒に生きてくれていたからなのではないだろうか。
そして私は今、大学生になった。
季節が巡るたびに「今年も桜がきれいだよ」と、心の中で彼女に話しかける。朝の駅までの道、春の風に、ふと彼女を思い出す瞬間がある。カバンの重さや、日差しのやわらかさ。そんな、何気ない日常の中に、昔二人で思い描いていた『未来』が重なることがある。
もう会えない。しかし確かに今も、彼女は私の中で生きている。喜びも、哀しみも、未来への小さな希望も、全て彼女と分かち合いたいと感じるから、私は歩いていける。
声に出さなくても、言葉にしなくても、彼女はいつも心の中にいる。空を見上げたとき。苦しみを乗り越えたとき。辛くて涙が止まらなかった夜、何度も、彼女を思い出してきた。そしてそのたび、自分の弱さも、強さも、受け止められた気がする。これからも、彼女と共に歩いていきたい。
そして、もしもう一度会えるのなら、春の風の中を、一緒に歩きたい。「おはよう」を言い合って、他愛もない会話で笑い合いたい。
だから、今日も私は心の中で伝える。
「今日も一緒に精一杯、生きようね」
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