あなたは私が知らないことをたくさん知っていた。

「いい家庭だね、すごくあたたかそう」

それが嫌味だったと分かったのは、あなたと別れて十年も経ってからだ。

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出会いはまだ小学生だった頃。転校してきたばかりの私は教室に馴染めず、口を一文字に結んでいた。話のきっかけは、幼いと同級生に笑われた、少女漫画のイラストが書かれた筆箱だ。

「好きなの?漫画読む?」

少女漫画しか読んだことのなかった私に、あなたはたくさんの漫画を教えてくれた。毎日放課後に遊んで、漫画を読んで、いけないことを教えてくれた。
両親に愛されて甘やかされて育った私が見たことのない、親の不仲、セックス、暴力。そしてその後の「ごめんね、ゆるして、私には君しかいないの」という甘美な言葉。ずぶずぶと、幼い私はあなたに絡め取られていった。

あなたが受けた暴力を、恐怖を、全てあなたは私に渡してくれる。私が孤立するように丁寧に自分の味方を増やしていた。

最初からひとりぼっちだった私はいとも簡単に、あなた以外の誰からも相手にされないいじめられっ子になっていた。その首謀者があなたであることも知っていたのに、私にはあなたしかいなかった。

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「どうして分かってくれないの?」
「愛してるだけ。こんな私を愛してくれるのは君だけだよ」
「どうして他のやつと話すの? 反省の色が見えない!」
「ただ好きなだけなのに」
「土下座でもしてみたら? そうしたら信じてあげる」
「ねえ嫌いにならないでよ」
「痛くしなきゃ分かんないの?」

飴と鞭で麻痺した私の心はボロボロになって正常な判断なんてできなかった。支えはあなただけで、私はあなたを愛してて、でも、私が漫画で見たことのある恋にはこんな歪な描写、なかったのに。あなたに殴られたお腹が痛くて、掴まれた髪が何本か床に落ちている。私は涙に塗れているくせにあなたの機嫌を取ろうとへらへらして、それで、気がつけば全てが壊れていた。

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学校に行けなくて、逃げるように遠いところへ進学して、あなたのいないところへ。真っ当な恋なんてできなくなっていた。自分がヘテロセクシャルなのか違うのかも分からないまま大人になってしまった。

何度かできた恋人も私自身が深い関係になるのを恐れてすぐに別れてしまう。私は、私を好きになる人が恐ろしい。
あなた以上の恋人を、私はいまだに作れないでいるんだ。

「ねえ、聞きたいんだ」
「なあに?」
「私のこと、恨んでた?」

そう聞くことができていたら。あなたは最初から、そうだよと答えてくれただろうに。私は普通の恋ができたかもしれないのに。

「私はね、それでもあなたが好きだった」

私ではあなたを救うことなんてできないけど、幼かったあの日の私は、あなたを抱きしめ続ければ幸せになれると信じてたんだ。あなたが幸せになるための私自身の犠牲なんて、どうでもよかったんだ。ただただ、愛してた。

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歪な恋は、もう元の形に戻ることはない。壊れてしまった私の心だって、穴が塞がることもない。それでも私は生きてるから、あなたが好きだった過去を過去として、今を生きていくしかないんだ。

「私のことを好きな人を、好きになれますように」

少女漫画みたいな、優しい恋だけをしたかった。