20歳になるかならないか、子どもというにはあまりにも成長し過ぎていて、大人というにはまだ未熟。どっちつかずの身体を持て余していた、大学2年生の夏の話。

大学生活は人生の夏休み。

使い古されたそんな言い回しは、いったいどこの世界の話なのだろう。

そんなことを思うくらいには、毎日が何かと忙しなく、講義も課題も山ほどあったその頃。

「心理学」という、一見ふわっとして見えるその学問が、いかに難しいかを徐々に突きつけられていた。文系の私にとって最大の鬼門だった統計やデータ処理の授業があったのもこの時期だった。

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「『心理学は文系』だなんて、いったい誰が言い始めたんだろう?」
そんな愚痴をこぼすのは、決まって同期の家だった。

金銭的な余裕もない学生時代。何かと言って理由をつけて、スーパーでお酒やおつまみを買って誰かの家に集まっては、朝まで語らうのが常だった。
いちいちグラスなんて用意しないで、缶のビールやチューハイを好き好き手に取って直飲みして、おつまみだって皿に開けるまでもなく、袋のまま手を突っ込んだりして。

高校の頃までは、こういう遊び方をするのは、いわゆる「不良」の類の人ばかりだと思っていた。でも、自分も含めて、私の周りにいるのは、愚痴を言いながらもちゃんと講義には来るし、将来のために、または自分の知的好奇心を満たすために、真面目に勉強をしている人ばかりだった。

それでも、ときに「なんでこんなこと勉強してるんだろう」、「私はどうしてここにいるのだろう」と不安になる瞬間がそれぞれにあった。きっとそれを解消するために私たちは集まっていたのかもな、なんて今は思う。

ハメを外す、なんて言葉は似合わない顔ぶれで毎度集まり、他愛ない話をしながらいつの間にか夜が更けていった。

お酒の耐性なんてまだつかない年頃。3%のチューハイで酔っ払ったと大騒ぎできるくらい、まだビールの美味しさがわからないのに、背伸びして飲んでみたりするくらい、私たちは精神的にも肉体的にも幼かった。今であればそう思うけど、当時は精一杯大人のふりをして、そういうことをしていた。

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話の内容は本当に、いつもくだらないことに終始した。教授たちの話し方の癖とか、退学した同期は今妊娠何ヶ月らしいとか、バンドサークルのあいつは最近彼女に振られたらしいとか。
別に他人の行く末なんて誰も興味がなかっただろう。でもそういうくだらないことを誰かが言えば、「そういえばこんなこともあったよね」と話が展開していく。シラフで聞けば面白くもなんともないような取り止めのなさが、私たちの感情の共有に必要だった。

息をつく間もなく、そんな話をし続けて、徐々に会話の継ぎ目が目立つようになると、同期がどこからともなくアコースティックギターを取り出し、チューニングを始める。丑三つ時、普段の声よりも少し高い声で、奏者のハミングが聞こえだす。なんとなくその場にいるみんなが知っているような選曲が絶妙だった。少しずつ、それぞれが遠慮がちに、段々はっきりと、声を重ねる。

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誰もが、それぞれの悩みを抱えていた。家族、恋人、未来、その他諸々の、日々に関する違和感。あと数年で大人にならなければならないと、社会から詰め寄られる空気。それに対する焦燥。

だけど真夜中、柔らかな弦の音と歌声を重ねるその瞬間だけは、一旦すべてのことを横に置いて、今このときを大切にしたい気持ちでいっぱいになった。今この瞬間が愛おしいなんて、ドラマみたいな台詞を頭に浮かべながら、歌い続けた。

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「もう、朝だね」

誰かがそう言う。東向きの窓に朝日が滲んでいた。いつも、今日こそは健康的な時間に解散しよう、なんて冗談交じりに言いつつ、気がつけば夜が明けている。

「おやすみ」
「また、月曜の1講で」
「うわ、やだな〜〜、代返しといてよ」

けらけらと笑う声が響く。柔らかな陽の光を浴びて、長くてあっという間だった宴の余韻の中、私たちは帰路についた。そんな夜をいくつも超えて、私たちは大人になったのだと思う。