ただすれ違って目が合ったあの瞬間、その美しい目に引き込まれた。思わずその人の姿が消えるまで、目で追ってしまった自分に気付く。

次の日もその人はそこにいた。どうやら私が働く建物で、清掃の仕事をしているらしい。

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その次の日も、その次の日も。いつもBluetoothイヤホンを使って誰かと電話しながら私の横を通り過ぎていく。ここは英語圏の国だが、英語でも、スペイン語でも、フランス語でもない、私の聞いたことがない言葉で話している。どこの国の人か見当もつかなかったが、きれいで、はっきりとした顔立ちをしていた。

その人の声がどこからか聞こえた時、私の心はいつも踊っていた。

あ、今日もいるんだね。

ある日、いつものように出勤したとき、少し距離のある所から私の方向にその人が歩いてくるのが見えた。いつかは話してみたい、そう思っていたからこれは絶好のチャンスだった。

「Hi」

私は、目があった瞬間、そう言い捨てて横を通り過ぎてしまった。その人は少し顎をくいっとあげ、私に軽く微笑み返した。私は振り返りもせずにそのまま足早に遠ざかる。

話しちゃった。いやあっちは何も言ってないや。やばい、私めっちゃ舞い上がってるかも。浮かれた頭の中でただ落ち着かない私の声が喋り続けている。心臓はバクバク。表情筋が緩みまくっていたから、ニヤついた顔を誰にも見られないように慌てて真顔をつくった。

まだその人のことを何も知らないのに、あの美しい目や凛々しい顔つきを思い出すときゅんとしてしまう。あのしぐさ、謎の言語、ミステリアスな雰囲気のせいで、その人への興味はどんどん膨らんでいく。25にもなって、学生時代のような、こんな初々しい恋心を抱くとは思っていなかった。

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次の日、私が働いていた時、突然その人が英語で話しかけてきた。

「どこの国から来てるの?」

ただ平凡な返答をしたくなくて、「どこだと思う?」なんてめんどくさい返しをしてしまった。

「わかんない。どこ?」
「日本だよ。あなたは?」
「インド」

その時、私はハッとしてスマホをポケットから取り出した。日本にいた時、アジア雑貨店で購入したステッカーをスマホケースに入れていたのを思い出したのだ。インドの神様が描かれたカラフルなステッカー。なんの神様かわからなかったけれど、金色にギラギラと光る派手さに一目惚れし、買ってしまったものだった。

「これ、インドだよ!見て!」

それを見せると、その人から予想外の返答が返ってきた。

「ダメだよ、こんなところに神様をいれたら。神聖なんだから」

少し茶目っ気もあったが、普通に怒られた。

「なんの宗教なの?」
「ヒンドゥー教だよ、自分もその一部。自分の身体には神が住み着いているようなもんだよ、はは」

インドの田舎の出身で信心深く、ベジタリアン。週7で働いていて、毎日インドにいる家族と電話をしている。その夜ベッドの中で、メモするように、もらった情報を頭の中で繰り返した。

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その日から、毎日のように職場で話し、一緒にご飯にもいく仲になった。たくさんの会話を経て、その人のことがわかってきた。

家族への大きな愛、人生における確固とした信念、人や動物に向ける純粋な慈悲の心、誰にでも優しくしてしまう温かくきれいな心。あの目の透き通った綺麗さは、そんな心を写しているからなのかもしれない。

深く知るたび、その人への気持ちがただの恋心ではなく、もっと尊い何かになっていくのを感じた。

最初の会話から一ヶ月以上が経った頃、その人が私に渡した一枚の紙きれ。そこには、春風のような爽やかな字体で「I love you」と書かれていた。

不器用ながらに気持ちを伝えてくれたその人が愛おしかった。この人のきれいな心を包み込みたい、この美しい目を守りたいと心の底から思った。

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あの時、Where are you from?って聞いてくれなかったら、こうなっていなかったかな。
ね、話しかけてよかった。
ねえ、あの時、私少し怒られたよね?
うん、だってこれは神様だから。こんなところに入れちゃだめだよ。

手に握りしめたスマホに未だに入っているステッカーを眺めながら、パートナーとそんな会話をする。あの時とは違って今では、そのステッカーのうしろに一枚の紙きれが追加された。

私の一目惚れから始まった二人の人生は、まだまだ序章に過ぎないが、これからどんな困難が訪れても、私たちなら大丈夫、そう思える。この人の私を見つめるまっすぐな瞳が、そんな自信や安心をくれる。

こんなにも人を愛する気持ち。それはこのステッカーの神様がくれた、私たちへの贈り物なのだと思う。