亡き夫を思う言葉に溶けた愛。祖母にとって、祖父は心の還る場所だった

今月の初めに祖母が施設に入った。部屋の隅に置かれた写真立ての前で立ち止まり、「これ、持って行っていいのかしらね」とぽつりと言った祖母の声が、どこか無表情で遠くを見つめているように聞こえた。
着替えの服や写真など、祖母が施設に持って行きたいものを母と段ボールに詰めた。写真をひとまとめにしている箱を整理しながら持っていく写真を選んでいると、祖母と祖父が結婚した時の写真が出てきた。80を過ぎた祖母が今の私とほぼ変わらない年齢の頃に撮られたと考えられるので約60年前のものだ。写真の中で純白のウェディングドレスを身に纏い、誇らしそうに、でも少し照れくさそうに微笑む祖母と、深黒のスーツを着て凛とした面持ちでまっすぐこちらを見据える祖父が並んでいる。若かりし祖父が膝の上にそっと握った拳から、ハレの日の誇りと共に、これからの人生をともに歩むための、静かな覚悟や緊張が滲んで見えた。
私の祖父は私が小学4年生の頃に亡くなった。私が覚えているのは脳梗塞の他に症例の少ない血液線維症という病を患い、車椅子で生活を送り、うまく言葉を発することも難しかった祖父の姿だ。私の話を静かに頷きながら聞いてくれた記憶の中の祖父と、写真の中の若かりし頃の彼の眼差しや静かな存在感は意外にもすんなり重なる。
しかし、最近になって母や叔母から私の知らなかった祖父の話をよく聞くようになった。彼女らから聞く父親としての祖父は、私の印象と少し違っていた。陽気で、おしゃべりで、冗談を言っては家族を笑わせていたお茶目な彼の姿は、私の知る祖父とは少し距離がある。スポーツも大好きで、若い頃はバレーボールのチーム内でエースだったらしい。その話を聞くたびに私の中にあった「寡黙なおじいちゃん」のイメージが少しずつほどけていく気がした。
もちろん、私の記憶の中で祖父が笑っていた場面はちゃんとある。好きだった歌は坂本九の「見上げてごらん夜の星を」。テレビをつければきまって「水戸黄門」。主題歌が流れると一緒に歌った。言葉にならない歌声を、私は子供ながらに耳を澄ませて聴いていたような気がする。
3年ほど前から祖母に少しずつ認知の症状が見え始めた。辻褄の合わない話をしたり、何度も同じことを尋ねたりすることもあった。それでも、祖父の話になると不思議と表情が変わる。まるで初恋を打ち明ける少女のような瞳で祖父との思い出を語る。祖父との思い出を丁寧に紡ぐ祖母の言葉一つ一つに、長い年月の中で何度も重ねられた愛情の記憶がやわらかく溶けている。祖母にとって祖父はいつだって最愛の人であり、心の還る場所なのだ。
もしもう一度祖父に会えるのなら、私は子供に戻って祖父の隣にちょこんと座りたい。無理に話さなくてもいい。ただ静かに並んで、私の見る景色を、祖父と一緒に眺めたい。きっと祖父は、あの時のように、静かに頷いてくれるだろう。そして私は、その静かな頷きに、きっとたくさんの愛の言葉をもらうのだと思う。
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