政治を口にすると場が凍る。それでも私は自分の生活を自分で選びたい

政治は、そんなに好きじゃない。でも生活に関わるから、調べる。
税金、保育園、教育、物価、年金。どれも選挙の結果であり、政治の決定だ。
だから私は、選挙のたびに候補者や政党の政策を比較する。
公約を読んで、SNSを見て、応援演説にも赴いて言葉の温度を感じ取る。
それが「大人として、普通のこと」だと思っている。
けれど、そんな話を誰かにすると、空気がピンと張る。
「意識高いね」「詳しいんだね、すごいね」と、ひかれたような声で言われることがある。
なぜだろう。
生活のことを真剣に考えるのは、“すごい”ことじゃなくて、“当たり前”のはずなのに。
選挙の話をするだけで、“ちょっと変わってる人”みたいな扱いになる。
数年前、友達に「ちゃんと投票行ってる?」と聞いたら、微妙な顔をされたことがある。
「行ったほうがいいとは思ってるけど、よく分からなくて…」
「どこも同じに見えるし、変わらないし」
そのとき私は、自分が“ズレている”側なのだと気づいた。
でも、そのズレに合わせて黙ってしまう方が、もっと怖いと思っている。
選ばなければ、変えられない。無関心でいることは、自分の生活を、誰かに丸ごと委ねることだ。
そんな私が、より積極的に政治と向き合うようになったきっかけがある。
会社の後輩との、ある飲み会だった。
普段は部署も違って仕事上の接点もなかったその人は、組合活動をきっかけに知り合った。
選挙のたびに候補者の演説に足を運び、直接質問して政策の裏を探る。
政党ごとの政策をまとめては、友人にシェアしているという。
SNSはやっていないという彼の作った政策比較表が、友人の投稿によってバズり、新聞にも掲載されたという話を、彼は淡々と語っていた。
その熱量と行動力に、私は正直あっけにとられた。
「こんなに真剣に政治と向き合っている人がいるんだ」と、感動すら覚えた。
しかも、それを誰かに見せびらかすわけでもなく、ただ「誰かが判断しやすくなるように」とやっているという姿勢がかっこよかった。
社会の仕組みを変えるのは、大きな声だけじゃない。
ひとりの静かな努力が、誰かの背中を押すことだってある。
私はあの日、確かに背中を押された一人だった。
私は育休中の母親だ。出産一時金、保育園の整備、児童手当、制度の使いやすさ。どれも“決める人”によって、大きく左右される。
子どもを抱いて投票所に行くとき、私は思う。この子の未来を、少しでもよくするために、一票を投じるんだと。だから、選ぶ。そして、「選べる」ことに、責任を持ちたいと思う。
政治は日常だ。でもそれを語ることが“特別”になっている社会では、「黙っている方が楽」になってしまう。けれど私は、その空気に甘えたくない。
わからないことがあっても、調べて、比べて、自分で決める。それが、私の「政治との向き合い方」だ。
誰かの言葉や空気に流されず、自分の生活を、自分の手で選んでいくために。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
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