私は物心ついた頃から、母の趣味でずっとロングヘアだった。
さくらんぼや花の形をした、華奢で可憐な髪飾りで、私の髪を結うのが母の楽しみだった。
三つ編み、二つ結び、ハーフアップ。私の気分ではなく、母の気分でその日の髪型が決まっていた。
ただ、私もそれでなんとも思わなかった。それが当たり前だと、常識を植え付けられていた。

自分で自分の容姿を選べるような年頃になっても、なんとなく肩より上では髪を切れなかった。勇気がなかったのかもしれないし、両親が望む、「女の子らしい娘」でなければならないという、なけなしの使命感があったからかもしれない。

いずれにしても、今思えばいじらしくて、同じぶんだけやるせなかったなと思う。

◎          ◎

就職してしばらく経った夏の日。そのときは急に訪れた。

連日、当たり前のように30℃越え。真夏日、猛暑日、今日は酷暑日。そんな日々にうんざりとしていた、夏の盛り。
私はめんどくさがりなのと、髪を結い上げたときの自分の顔があまり好きではないのとで、大人になってからのヘアスタイルは季節を問わず、胸の辺りまである髪を下ろしたスタイルだった。
ところがこれでは、夏場は本当に暑くて耐えられない。首に汗をかき、下ろした髪がベッタリと貼り付く感覚がとても嫌だった。

汗と絡み合い、素肌にじっとりとまとわりつく私の髪。その瞬間は急に来た。

「ああ!もう嫌!!!」

炎天下にさらされた外勤中に突然、堪忍袋の緒が切れた。
衝動的に美容室を予約し、「今日はどうしますか」と訊かれるや否やこう言った。

「バッサリ切りたいです。男の子みたいなショートにしてください」

◎          ◎

担当の美容師さんはちょっと驚いていた。
当時、両胸がすっぽりと隠れるくらいのロングヘア。何があったのかと心配されるのも無理はない。これは勇気というよりも、一刻も早くロングヘアのジメジメした不快感から逃れたいという消極的な選択のはずだった。

ほんとうにいいんですね?と美容師さんに何回も念を押され、ほどなくしてジャキジャキと気持ちいい音を立てて切り離されていく髪の束たちを見つめていた。
こんなに簡単なことだったのか。今までなんとなく伸ばしていた髪の毛を手放すのは、思いの外、気持ちのいいことだった。
失恋?心境の変化?そんなセンチメンタルな感情は一切ない。
私が髪を切るのは、ただ心地よさを求めるシンプルな欲求からだ。

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うなじがすっきりと見えるショートカット。
だけど男の子ほどやんちゃに見えないように、サイドはすこしレイヤーを入れながら長めにカットしてもらった。同時に重たく見えた黒髪から、光が当たると柔らかく光るアッシュグレーに染めた。
頭が軽かった。足元にはこんもりと盛られた黒髪。ちょっとしたカツラくらい作れそうだ。こんな量を毎日ぶら下げていたのか、とちょっと愉快だった。

夕暮れに吹く夏の風が首元をかすめていく。その心地よさに自然と鼻歌が出た。
明日、会社に行ったら、驚かれるだろうな。
でもいいんだ。最初はネガティブな気持ちから生まれた衝動だったけれど、初めて私は自分で、自分の見た目を選択できたような気がするから。
耳元がよく見えるようになった、可愛いピアスを買って帰ろう。そう決めて家路を軽い足取りで歩き出した。