たかが1票、されど1票を経験してから、私の政治への意識が変わった。

選挙権を得てから、親に連れられるがまま選挙時の投票は欠かさずにしていた。選挙に行かない理由は特になかったし、当日投票でも期日前投票でも、家族で予定を合わせて行っていたから、「忙しいから行けない」なんてこともなかった。活字が好きなので、読み物を見る感覚で選挙公報を見る。そしてポスターも見て、なんとなく目星をつけて投票する。

まあ私が投票に行ったところで何も変わらないだろうけれど、手元にある券を使わないよりは良いだろう。そんな感覚が明確に変わった経験が数年前に起きた。

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それは市長選でのこと。近所では知名度が高い候補Aさんと恥ずかしながら初めてお名前を知った候補Bさん。このときもなんとなくBさんに投票した。明確には言語化できないが、なんとなくBさんの公約のほうが印象深かったから。それと、Bさんを支持する党派が現職と異なったから、新しい風が吹いても面白いんじゃないかな、という好奇心で。おそらくAさんが当選するんだろうけれど、Bさんとの票差が少ないと知ったら気合を入れてくれるのではないか。そんな気持ちは家族も似ていて、「Aさんで確定だろうから応援の意味でBさんにしておいた~」と話していた。

開票結果はBさんの当選。それも1ポイント未満の差。予想外の結果に震えた。私や私の家族のように「なんとなくBさん」にした人がしっかりと考えた結果、投票先を決めていたら、結果が変わった可能性も低くないだろう。自分の1票の重みを、1票が集まって数百票になったときの重みを初めて実感した。

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それからは、読み物として読んでいた選挙公報もしっかりと目を通すようになった。今自分が社会で一番不満を持っていることは何だろうか。何を解決してもらいたいだろうか。どんな政策を掲げてほしいだろうか。自治体や政府に何に予算を割いてもらいたいだろうか。どんな人に政界で活躍してもらいたいだろうか。毎回の選挙でこれらを明確にしてから、各候補者の言葉に目を向けるようになった。

確かに政党に所属する候補者の場合は党の方針に寄せた政策も掲げているだろう。しかし、選挙公報や各候補者のホームページを閲覧すると、案外個性が見えてくる。特に、その候補者が政界に進出したきっかけを知ると、その人の人となりや価値観、重視している課題が見えてくる。自分の中で「一番マシな人」を選んでしていた投票が、「応援したい人」への投票に変わっていった。

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あくまで自分の肌感覚だが、ここ数年で若者やこれまで選挙に行っていなかった層の投票が増えているように感じる。議員選などで当選者の層が明確に変わっているのを見ると、政治って私たちの投票で変えられるのかも、とうれしくなる。

自分が住む街、自分が住む日本なのだ。どうせ変わらないと絶望するよりも、変わると信じて、変えようと動いてくれる政治家たちを応援していきたい。この窮屈な社会が変わりますように、と短冊に書くよりも、神社でお祈りするよりも、自宅に届く券のほうが強力な力を持っているかもしれない。祈りを込めて、これからも投票箱に紙を入れよう。