「もう、やってられないよねえ」選挙が近づくと思い出す、男性市長の声

選挙が近づくと思い出すのが、地方の田舎町に住んでいたときの30代の若い男性市長が放った「もう、やってられないよねえ」という同情の言葉だ。
3年前の2022年9月、私は田舎町の、とある公共文化施設の大ホールにいた。オーケストラ公演の開場に向け舞台袖にいたのだ。
13時開場だったが、その2,3分前になって、舞台上のスプリンクラーが突然作動した。私はその、作動したときの第一発見者、いや目撃者だった。私は即座に内線で「スプリンクラーが作動しました」とロビーや事務所にいるほかの職員や責任者に伝えた。
その連絡をしているそばから、舞台は一瞬にして水浸しになった。何もなすすべがなかった。近くにいた20年近く公共ホールで働いている舞台担当スタッフも「あー、何だこりゃ」と繰り返し言うしかなかった。
舞台上に置かれていたオーケストラの楽器類、それから高品質で知られるスタインウェイピアノも一瞬にしてずぶぬれになった。こんな光景、あり得ないと私は思った。でも、起こってしまったのだ。総額何億円の損失だろうか。とにかく気が遠くなるくらいの高額な楽器が犠牲になった。
もちろん被害を被ったのは高額な楽器類だけじゃない。けが人も出た。そして私たち職員はその日、夜中まであと片付けに追われた。
まずスプリンクラーが作動した直後に、まだ水が滴る舞台から少しでも楽器を護るためにバケツや雑巾や新聞紙やモップなどをありったけ持ってきて、拭いた。この作業、何時間行ったんだろう。とにかく必死だった。
次に、もちろん公演は中止になったため、チケットの払い戻し作業などをした。お客さんはもちろん、職員も皆混乱していた。3年前のことだから具体的にどんなことをしたか詳しく覚えてないが、公演中止、みたいな貼り紙を作って入り口に貼ったり、ホームページやSNSの更新をしたような気がする。
夜だっただろうか。市長と副市長が事務所にやってきた。30代の市長と20代の副市長。どちらも男性だ。市長は舞台のモニターを見るなり、「もう、やってられないよねえ」と言って、こちらに同情してきた。そして「これは人為的な事件の可能性もあるから警察を呼ぶ」と言った。
そして警察がやってきて真夜中まで職員の取り調べと現場検証が行われた。
私は同情されたくなかった。同情して何になるの?こんな風になったのは財政不足による施設の老朽化だろうと内心いらだっていた。もちろんいろんな可能性を論理的に考慮すべきだろうから、警察による客観的な捜査が必要だったのだろうが、第一目撃者としての肌感覚からすると、あれが人為的なわけはないと思った。
その後何か月も捜査が行われ、人為的な事故ではなく、老朽化が間接的な原因ということになった。
そのあと、私はその文化施設を離れたが、いつかの地方版の新聞で、その公共文化施設の大ホール再建に向けて動き出したという記事を見つけた。市民の根強い意志が、財政難にある自治体の文化ホール再建へと動かせたのだという。
ことしも、選挙に行ってきた。行くたびに、選挙行っても何も変わった感覚ないな……。結局は自分が安定した仕事に就くことが一番なんじゃないかと思いながら投票している。しかし再建へというニュースを目にしたら、文化芸術という、ともすると“不要不急”とされて行政で予算をつけるのが後回しにされてしまいがちな分野も、間違いなく不要不急なのではなく、「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要不可欠なんだと大いにうなずける。
投票権を持つ者として、また公共文化施設にかかわっている者として、これからもできうる限り投票し、同情に依らない意思表示をしていきたい。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。