今年は一瞬で梅雨が明けて、夏が始まった。

天気予報は33〜35度。気象庁の「危険な暑さに警戒してください」というフレーズを脇目に、私はウォーキングを極めている。

そんな中松本城をぐるっとウォーキングをした。

自分でも思う。「なぜ今日なのか」。
だけど、その日ばかりは体の内側がざわざわしていて、家の中にじっとしていられなかった。

◎          ◎

前日、職場でちょっと嫌なことがあったのだ。理不尽なことで注意され、帰り道に「私って本当にダメなんだろうか」って、ずっと考えてしまっていた。
そういうとき、私はなぜか体を動かしたくなる。感情を黙らせるには、考える暇がないくらい、汗を流すのがちょうどいい。

日焼け対策のアームカバーとキャップ、タオルと水筒を持って、近くの川沿いを歩いた。真っ昼間のウォーキングは、もはや修行に近い。5分も歩けば、顔からも腕からも汗がだらだら。首に巻いたタオルがどんどん重くなっていく。
でも、嫌じゃなかった。

心地よいとすら感じる。
ただひたすら前に進むことに集中して、暑さを感じることに体を預けて、余計な思考がどんどん溶けていく感覚。

1時間ほど歩いて、家に帰ったころには、靴下までぐっしょりだった。シャワーを浴びて、ようやく一息つく。

なのに、なぜかそのあと、猛烈に「辛いもつ鍋」が食べたくなった。

◎          ◎

猛暑の中福岡のもつ鍋を食べた時の至福感を思い出し、もう一度味わいたかったのだ。

冷房の効いた部屋でキンキンに冷えたものを…ではなく、私は「もう一度汗をかきたい」と思ったのだ。多分、それくらい、自分の内側を“何か”で出し切りたかったんだと思う。

デリバリー中心に、キッチンで韓国風の辛いもつ鍋を作った。
牛もつを熱湯でしっかり湯がいて臭みをとって、コチュジャン、唐辛子、にんにくをたっぷり入れたスープに、キャベツとニラ、そして豆腐をたっぷり。

鍋がぐつぐつと赤く煮え始めるその音を聞いているだけで、なんだか少し元気が湧いてくる。

「暑い日に辛い鍋なんて、正気?」と昔の私なら思ってた。

でも今はわかる。あえて“暑さの中に飛び込む”ことでしか、整理できない気持ちってある。
辛い料理って、ただ辛いだけじゃなくて、食べる人の感情を受け止める力がある気がする。

鍋の最後は韓国風に、残ったスープで雑炊をつくった。ごはんと卵を入れて、とろとろに煮詰めて、仕上げにごま油をちょろりとかける。
一口食べて、私はふっと笑った。
「生き返ったかも」。

◎          ◎

夏の暑さも、職場でのストレスも、全部まるごと汗と一緒に流して、私はようやくいつもの自分に戻っていた。

人はなぜ辛いものを食べたくなるのか。
たぶんそれは、自分をもう一度感じ直したいときなのだと思う。

感じる心があることを回想したいのだと思う。

刺激に頼ることで、感情に輪郭をつける。辛さの向こうにある「私の心の輪郭」が、少しくっきり見えた気がした。