ヒグラシが鳴いている。日が傾いてもじんわりとまとわりつくような暑さが残っている。そんな中で私と妹は少し前を歩く父と母の背中を追って歩いていた。家から10分もしない場所にある、普段は人の姿はない公民館の1階ホールには珍しくたくさん人がいて、中には友達の母親の姿も見えた。公民館の外では近所の子たちが鬼ごっこをしたりしていた。

「すぐ戻ってくるから、ここで待っといて」
「え、着いていく」
「大人しか入られへんから」

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私と妹はホールに入って何か手続きらしいことをしている両親の後ろ姿を見つめていた。両親は数分もすれば戻ってきた。

「何してたん?」
「ん?選挙やから投票に行ってたんや。大人は行かなあかんからな」

それが、私が「選挙」というものに初めて触れた記憶である。
それから何度か両親の後について、選挙を見に行っていた記憶がある。いずれも夏の夕方だったように思う。そのたびに、父は少しずつ選挙について教えてくれた。

自分が入れた投票先は基本的には言ってはいけないし、他人に聞いてはいけない。「ここに入れろ」なんて押し付けるのはもってのほか。投票するのは自分が「この人なら大丈夫だな」と思える人。そういう人がいないときは、「まだマシ」と思える人。党派はたくさんあり、その党派にもいろいろな特色があること。そして、親の言葉を全てと思わず、自分で調べ、考えるのが一番大事だ、ということ。

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今思えば、両親はきちんと私達を教育してくれていたのだな、と頭が下がる思いである。当時は投票場所のそばにあったスーパーでアイスを買ってもらえるチャンスがあったので、アイス欲しさに両親に着いていっていたところもあるが、その道中で父が教えてくれたことは投票権を獲得したばかりの私が、特に選挙に対し抵抗感を持たず、ごく当たり前のように我がこととしてとらえて投票を行える下地を作ってくれていた。

周囲の友人は大抵きちんと投票に行くタイプだったし、バイトでいけない友達は期日前投票をしていた。初めて投票に行った次の講義の後の休み時間で、「なんか大人になったって感じやんな~!」とキャイキャイはしゃいでいた。「めっちゃいい紙、使っとるらしいで」と誰かが言い出して、書き心地が確かに良かっただの、いくらぐらいするんだろうだの、様々な感想を話した。

でも、SNSの投稿を見たり、統計資料を見たりすると、実は私達のような人は少数派だということを知った。「面倒くさい」「どの党の誰を選べばいいかわからないから行かない」、そんな声があることを知ったときは、正直ちょっと怒りすら感じた。

自分たちの権利を、「面倒くさい」「わからない」という理由で捨てるなんて、ちょっと怠惰が過ぎる。SNSを見たり、ゲームしたり動画を見たりしている暇があるなら、その手にあるスマホで調べればいい。そう思った。
だが、ふと思った。

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そもそも、私達が持つ権利なのに、なんで「調べないとわからない」んだろう?
私がいた環境は、調べたり学んだりすることに抵抗感が薄く、家庭でも選挙を含め様々な社会での大人の在り方を教えてくれる家で育った子が多かった。

だが、そうでない人たちはどうなるんだろう。選挙に行かない親の姿を見て育ったら、そもそも選挙になじみがないかもしれない。そもそも学ぶ、調べることそのものが苦手だという人だっている。そういう人たちにとって、「選挙」はよくわからない難しそうなものなのかもしれない。

だから、私は選挙が「遠いものではない」ということを周囲に伝えることにしている。SNSには投票へのネガティブな意見もあるが、選挙のシステムや党派選びをわかりやすくまとめた投稿もある。

最近はWEB診断形式で自分の価値観にあった党派を見つけられるサイトも作られた。そういった投稿やサイトをネタに「行かない」派の周囲の人と話していると、「これなら自分でもできるかも」という感想をもらえることがある。実際、「行ってみた」と言ってくれる人もいる。

たぶん、本当は選挙とはもっとシンプルでわかりやすくあるべきだ。だが、残念ながら私に現行の制度を変える力はない。でも、私にもできることはある。