住み慣れぬ町の選挙会場。それでも私は地図を片手に投票へと向かう

通勤の時に見かける駅前の演説、休日の選挙カーによる放送。社会人になってこの場所に住んでいる私には当然、選挙権がある。
でも、その日の業務内容で頭がいっぱいだったり、この場所にいつまで住むかもわからない私にとって、それらの主張は聞こえる音であって、その内容に耳を傾けて意味を理解する機会は少ないと思う。選挙が大切なことは知っている。でも、私たちの意思表示はいつも蔑ろにされてきたのではないだろうか。そんな思いから選挙への足は遠ざかる。
私が選挙に行くために何よりもネックになるのは選挙会場の場所だった。学校で実施されることの多い選挙は、その地域で学生生活をした人なら、昔通っていた校舎かもしれないし、そうではない会場でも部活やイベントで一度くらいは足を運んでいるのではないだろうか。
しかし、就職を機に社会人になってから引っ越してこの場所に来た私には、学校の場所なんて全く必要のない情報だ。選挙権の用紙に書かれた簡単すぎる地図ではだいたいの方向や道順は分かっても所要時間や細かい道順が分からない。場所を調べてグーグルマップ片手にさまようことになる。運よく期日前投票で駅を会場にしている期間もあったりするが、それだって休日でない場合はお仕事を早めに終えて帰路につく必要がある。どうしたって、この街との結びつきの薄い私が選挙に行くのは、投票先以前に解決しないといけない問題があるのだ。
それでも、私はできる限り選挙に行くようにしている。政治に興味はあまりないし、配偶者もいない私には少子化対策も関係ない。行っても行かなくても結果は変わらないという言葉をよく聞くけれど、まさにその通りだとも思っている。
失われた30年と呼ばれる不景気だが、生まれてからずっとこの状態だった私には初めからの不景気であり景気の良かった時代なんて歴史なのだ。私が選挙に行くようにしているのはそれしか私にある権利がないからだと思う。
お仕事では自分にできないことを頼めないし質問もそれに対する回答もある程度には用意してから対応することが求められる。でも、選挙で語られれる公約には、実現性も効率も私は考えなくていい。選ばれた候補者が勝手に頑張ってくれる。この状態は、お仕事で下っ端の私には信じられないような好待遇だと思う。
選挙会場までの行き方を調べてわざわざ特定の日を空けて、投票に行って、誰に投票するかを決めるのだって大変だし、とにかく面倒事が多い。
それでも、私が選挙に行くのは、それが民主主義の義務だとか権利だとかそんな大層なものではない。誰が当選してもそこには達成されるべき公約があり、達成するための準備とその達成状況をチェック、お仕事みたいにその状況に対して何かを言うことさえしなくていい。そんな状況に少しだけ関与できる。本来の選挙はこういうものだと思う。主権を持つ私たちは、一回選挙に行くだけでこれだけのことを政治家に委ねていいはずだし、それってお得かもそんな気分で投票所へ向かう。
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