ヘアケアは誰かの未来を想う時間。ヘアドネーションをして思うこと

大学1年生の冬、私は自慢の髪の毛を切った。
髪を切る理由は人それぞれだと思う。髪がもともと短い人や、多くの男性は、伸びた髪を元の長さに戻すために切ることが多いだろうし、長く伸ばしていた人が切るとなれば、失恋やイメージチェンジなど、何らかの転機や感情の変化がきっかけであることが多いのではないだろうか。
私がかつて持っていた髪の毛は、腰まで届く長さだった。
大学1年生だったその年、私は髪を染めたことも一度もなく、日々のヘアケアにも手を抜かなかった。洗い方や乾かし方、ブラッシング、トリートメント——どれも大切に向き合ってきたおかげで、自他ともに認める美しく健康な髪に育っていた。鏡を見るたび、ふとした風に髪が揺れるたび、その存在が私に小さな自信をくれていた。
そんな髪を、私は冬の寒さが深まるころに、ばっさりと切った。理由は、失恋でも気まぐれなイメチェンでもない。「ヘアドネーション」をしたかったからだ。
ヘアドネーションとは、病気や事故などで髪の毛を失ってしまった子どもたちのために、医療用ウィッグの素材として自分の髪の毛を寄付する活動である。一般的には31センチ以上の長さが必要とされ、切った髪は専用の団体を通して丁寧に加工され、誰かのもとで新しい命を持つウィッグへと生まれ変わる。
ヘアドネーションの存在を知ったのは高校生の頃だった。SNSで偶然目にした投稿に添えられていた、「誰かの希望になる髪」という言葉が、胸に強く残った。
「髪の毛って、ただ伸びるだけじゃないんだ」
その気づきが、私の心を静かに揺さぶった。自分の身体の一部が、誰かの役に立てるかもしれない。そう思ったとき、私は「いつか寄付できるくらい伸ばそう」と決意した。
それから、私は丁寧に髪を育てるようになった。紫外線を避け、アイロンの熱にも気をつけ、乾燥から守るためにオイルを使った。ヘアケアの時間は、単なる美容ではなく、誰かの未来を想う時間になっていた。
髪を切った当日、美容師さんに「この髪、とてもきれいですね」と言われたとき、私は照れながらも、心の中で小さく誇らしく思った。「この髪、ヘアドネーションのために伸ばしたんです」と美容師さんに伝えると、「そうなんですね。お綺麗です」と穏やかな声で答えてくれたのを覚えている。美容師さんの顔はみえなかったけれど、私の想いが通じたような気がして、胸の奥が温かくなった。
切られた髪はきちんと束ね、透明な袋に丁寧にいれた。それを自分の手で封筒に入れ、送り先の住所を丁寧に書いた。 ポストに投函する瞬間、ほんの少しだけ迷いも寂しさもあった。何年もかけて育てた髪だから。
でも、その髪が誰かの笑顔につながると思えば、やはり嬉しさの方が勝っていた。 数日後、団体から「確かに受け取りました。大切に使わせていただきます」という短いメールが届いた。その一文が、私の行動を肯定してくれたように感じた。
私にとって髪の毛は、見た目の美しさを象徴するものだった。でも、今はそれ以上に、「誰かを想う心を乗せられるもの」だと思っている。 あの冬の選択は、見返りを求めない優しさや、静かな思いやりの在り方を、私に教えてくれた。
現在の私は、再びヘアドネーションを目指して髪を伸ばしている。ショートカットを経て、今は肩より下まで伸びてきた。ロングでもショートでも、その時々の自分を愛おしく思えるようになった。そして何より、「生きているだけで、伸びていく髪が誰かの役に立つ」という事実が、日々の私にそっと誇りをくれる。
髪を切る理由は人それぞれ。
でも私にとってそれは、誰かの未来に寄り添うための、ささやかだけれど確かな選択だった。
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