選挙は日常にあることを知る。初めての期日前投票で感じた一票の重み

私が初めて投票したのは、期日前投票だった。当日、行けるかどうかわからなかったし、人生で初めて選挙権を持ったことに少し緊張していたので、余裕を持って済ませておきたかったのだ。投票所は駅のそばの市役所出張所で、思ったより賑わっていた。
平日の昼間だったのに、スーツ姿の会社員、買い物帰りのお年寄り、子ども連れのお母さんなど、様々な人がいた。その光景を見て、「ああ、選挙って特別なことじゃなくて、生活の一部なんだ」と思った。受付の人も、書類を確認する人も、鉛筆を渡してくれた人も淡々としていて、「おめでとう」とも「初めてですか」とも言われなかった。その無言の儀式のような雰囲気が、逆に私に責任感を与えた。
選挙が近くなると、駅前やスーパーの前に立つ候補者やボランティアの人たちをよく見かけるようになる。チラシを配りながら一礼する姿、通行人に声をかける姿。それを見るたび、彼らはたとえ当選しなくても、立候補するだけで生活が変わるんだろうなと思う。名前を知ってもらうために、何度も街に立つ。
SNSでも発信する。そんな日々は、想像するだけで苦しくなるほど孤独そうで、でもやりがいもあるのかもしれない。私は彼らほど自分の信念を言語化して他人に届ける自信がない。だからこそ、投票という形で少しでもその勇気に報いたいと思う。
ただ、今の選挙制度には不満もある。期日前投票の手続きはまだ簡単な方だけれど、選挙公報を読んでも横並びの理念ばかりで違いが分かりにくかったり、候補者の人柄や実績が断片的にしか伝わってこなかったりする。もっと各候補者の考えや人生観を比較できるようなシステムがあればいいのにと思う。
たとえば、候補者同士が特定の政策テーマで必ず討論するオンライン動画を義務化するとか、AIが公平に作った比較表を配信するとか。せっかく一票を投じるなら、自分が投票したいと思える人をきちんと選びたいのだ。
そもそも選挙に行く理由は、人それぞれだと思う。私の場合は、誰かに強制されているわけでも、社会貢献の意識が特別高いわけでもない。ただ、何も選ばないまま大人になるのが怖いのだ。自分が住む場所の空気を決める人たちを、完全に他人任せにしたくない。それに、選挙に行くと、「私はこの街に生きている」という実感が少しだけ湧く。逆に、行かない理由があるとしたら、候補者の政策がどれも響かないときだ。推したい人がいない選挙ほど、虚しいものはない。
投票先を決めるとき、私は最後まで迷うことが多い。選挙公報やSNS、公式HPを見比べるけれど、それだけでは決め手に欠ける。だから、なるべく街頭演説を聴きに行くようにしている。声のトーンや話し方、言葉選び、聴衆の表情。そういう空気感から、その人が本当に誠実かどうかを判断する。誠実さは、政治家に一番必要なものだと信じているからだ。
期日前投票の帰り道、空は曇っていて、湿気を含んだ風が頬にまとわりついた。投票所で名前を書いたときよりも、投票箱に用紙を落としたときよりも、帰り道に歩いたその数分間の方が、自分が大人になったことを強く感じた気がする。あの重みを、私はこれからも忘れたくない。
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