自己中で最低な娘だった私に胸を張る。母に折れずにいられた日のこと

「私のおかあさん」だから、大事にしたかった。
大事にしたくて、だから何とか受け止めようとして、でもうまくできなくて、浴びせられる言葉の雨の中、ボロッと涙が出た。
落ち着こうと入ったお土産物屋を、私はボロボロ泣きながら歩き回った。わけもなくあれこれ手に取りながら、何度も深呼吸をした。
あと4日、おかあさんと一緒なのだ。ここで気まずくなったら大変でしょ。大変じゃん、だから。
……でも、私はずっと、我慢している。
ぼやける視界に、うっすら雲のかかった空と、きれいに整備された海岸沿いと、淡く光る内海が映ったら、もうダメだった。
何も考えず、私は青の中に逃げ出した。
その年の夏、私は長めのリフレッシュ旅を企画していた。
それまで私の旅行は1泊2日ばかりだったから、思い切って1週間くらい、ひとり知らないどこかで過ごしてみたかったのだ。
だから母との2人旅になったのは想定外だった。
私の旅の計画を聞いた母が、自分も行きたい、息抜きがしたいと言ってきたのだ。
この時の母は大変な状況で、私には母に変な負い目があった。加えて1週間ぼっち旅に不安が募ってきていたので、私はうっかり了承してしまったのだった。
旅の前日から、微熱が出た。
熱が下がらない中、私は何とか母と合流して新幹線に乗った。体調が悪くて、初日に予定していたサイクリングは延期。市街地を無理なく散策して、宿に入った。
2日目、解熱剤のお陰でちょっと調子が戻り、お寺巡りへ。お天気と景色を堪能した。
そして3日目、限界が来た。
私はある程度1週間のプランを立てていたし、母にも合意を取っていた。
なのに土壇場になって、母が「やっぱりここに行かない?」「あれやらない?」と全く違うプランを提案してくる。3日目の午前、行先の駅で降り立ってから、また母の「提案」が始まった。
「せっかく時間あるし、もっと遠くに行かない?」
昨夜もちゃんと話し合ったプランがパアだ。私が何度嫌だと伝えても、母は止まらない。そもそも自分のリフレッシュのために計画した旅行だったし、私もここまで来て譲る気もない。行きたいならひとりで行けばいい、と妥協案で言ったら、母は「せっかく二人で来たのに」と拗ねた。
もう本当に、このひと嫌だ、と思った。
私は母が苦手だ。
どんなに嫌だやめてくれと伝えても、母は私が嫌だと言ったことを何度もしてくる。自分自身の要求が叶うまで、私にしつこく要求し続ける。いつだって最後は私が折れさせられた。いつからか私は自分の意見、本音が言えなくなった。どうせ聞いてもらえない、と諦めの気持ちが心に深く根を張っていた。
けれど一人暮らしを始めて、ようやくすこしずつ自分の本音を大事にできるようになってきた。母と離れてようやく、私は肩から力が抜けたのだ。
あの時、どうして「ついてきても良いよ」とまた折れてしまったんだろう。折れなければ、私は楽しいはずだった旅先で苦しまなかった。もう折れないぞって、思っていたのに。
限界で、ドバッと涙が出た。お土産物屋に入ってクールダウンしようとして、……できなくて、私は逃げ出した。
ドラマみたいに、堤防にひとり腰かけて、海を見ながら泣いた。
母に嫌な思いをさせられた記憶がいくつもフラッシュバックした。それと同じくらい、おかあさんを大事にできない自分が嫌いだ、という気持ちが溢れた。
どうして私はちゃんと母に向き合えないんだろう。向き合って、もっと本音をぶつけて喧嘩して、良い関係に持っていけないんだろう。私と母がそれぞれ抱える寂しさも生きづらさも、きっと私たちが向き合えていないのが原因なのに。
わかっているのに、母と向き合えない。向き合う余力も勇気も、私には残っていなかった。それが苦しくて堪らなかった。
一頻り泣いて泣いて、私は開き直った。
もういいや。こんなに苦しいのなら、逃げてしまえばいい。思いっきり逃げて、逃げて逃げて、後のことは考えない。
今日はひとりで過ごすね。そうLINEしてスマホの電源を切り、私は勢いよく走り出した。絶対に見つからないように、遠く遠くへ。逃げるうち、どんどん何かが抜けていった。
旅に来てはじめて、私はおもいっきり声をあげて笑った。
それから心のままに過ごした。
たまたま惹かれたお店で衝動買いをした。海辺で波に裸足を浸した。ひとりでラーメン屋に入って、馬鹿みたいに量が多いセットを後悔しながら食べ切った。
日が暮れるまで、私はとびきり自分の気持ちを大事にした。あれだけ重くて動かすのが億劫だった身体は、嘘みたいに軽かった。
嘘みたいに軽い身体で、私は母がいるであろうホテルへ、ゆっくりと戻った。
「母に折れない」というのは、私にとって何より勇気が要ることで、そして、自分を守ることだ。
だからあの日の自己中で最低の娘だった私を、私だけは肯定する。勇気を出して自分を貫いた、よくできたと、賞賛する。そうして何度も「折れない」経験を積み重ねて、いつかちゃんと真っ向から、母と向き合えたらいい。
私なら、いつかできる。そう信じて、空を見上げる。
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