「先生なのに、そんなお洒落して怒られないんですか?」

耳慣れたはずのそのフレーズは、何度聞いても棘のように刺さる。わたしは高校で日本史を教えている。職場の先生や生徒が「先生らしくない」と言葉にするたび、胸の奥で“らしさ”という鎖が軋んだ。

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職員室に明確なドレスコードはない。それでもブラウザの検索履歴には〈オフィスカジュアル〉──黒、白、グレー。空気を読み、自分の輪郭をぼかす無難な色ばかり選んできた。

そんな日常を破ったのは、授業準備中に開いた資料集の1ページ。1920年代、銀座を闊歩する若者たちのスナップだ。膝丈ワンピースにクロッシェハットを合わせた女性、だぼっとしたジャケットにストローハットの男性。

当時、彼女たちは「モガ(モダンガール)」、彼らは「モボ(モダンボーイ)」と呼ばれた。第一次世界大戦後の好景気を追い風に、西洋のジャズや映画が一気に流れ込み、洋装とショートヘアを身にまとった若者が銀座のカフェやダンスホールを軽やかに行き交った。彼女たちは真紅の口紅を引き、自分の稼ぎで好きな服を買い、恋も仕事も意志で選ぶ“新しい女性像”の象徴。

一方で「派手すぎる」「伝統を壊す」と眉をひそめられる存在でもあった。保守と革新がせめぎ合う時代に、彼らはファッションという旗を掲げて自由を宣言していたのだ。
1ページの中のモダンガールが、まるでスクリーン越しにウインクした。「ほら、あなたも」。

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平日のくたびれ切った夜、テスト採点の合間に画面で見つけた煉瓦色のロングワンピース。クリック一つで夕焼けを迎え入れた。

数日後、自宅に届いた段ボールを開けた途端、箱の内側から夕陽がこぼれ落ちる。レーヨン混の布は指にひんやりと沿い、持ち上げると縦に細い艶が走った。ウエストのくるみバックルをカチッと留めると、胸の奥でも何かが鳴った。

朝。覚えていないほどそわそわ、けれど確かにわくわくしながら通勤した。職員室のドアを開けると同僚が目を丸くする。
「大正のモダンガールを意識してみました!」と言うと、頬を緩めた同僚は「あなたらしいね」と返した。恐れていた批判は、やわらかな肯定に溶けた。

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1時間目の日本史。黒板に〈大正文化〉と書き、裾を揺らして教壇に立つ。

「先生、モガみたい!」

生徒たちの目がきらりと光る。
ワンピースが教科書の外にいたモダンガールを“今”へ連れ戻し、教室に自由の風が吹いた。パフスリーブの影がチョークの粉をふわりと払うたび、煉瓦色の裾が夕陽の名残のようにゆらめく。

放課後、窓の外の空がいつもより高く見えた。布一枚で、こんなにも晴れやかな気持ちになれるなんて。

今でも正直「先生っぽくない」と言われると心がざわつく。

「褒め言葉ですか?それとも嫌味ですか?」

心の中でひとり、ぐるぐるする。けれどそんなとき、大正モダンガールのワンピースを思い出す。

“先生らしさ”は色味でも丈でもなく、黒板の前で生徒と向き合う姿勢そのもの。そして“似合う”を決めるのは他人の視線ではなく、わたしの鼓動だ。

夕陽と同じ煉瓦色のこのワンピースは、わたしの背中をそっと押してくれる。明日も歴史の授業をしながら、自分の歴史を塗り替えていく。