堂々としていれば、バレない。好きなものを着て出社したら少し変われた

朝っぱらから、新品のピンポン玉みたいに鼓動がドコドコ弾んでいた。正直な心臓を他所に、私は何食わぬ顔でワンピースの…好きな作品のプリントTシャツに袖を通した。
出社する日だった。姿見の中、ずっと私を慰めて、励ましてきてくれた白黒の横顔は、ありふれた黒いスカートとベージュのジャケットに挟まれて、ちょっと窮屈そうに収まっていた。
私は漫画やアニメが好きだ。ユニクロでお気に入りの作品のコラボTシャツが出れば、発売日に気に入ったデザインを総ざらいするくらい、好きだ。
お気に入りの作品を身にまとうとテンションが上がる。どんなに落ち込んだ日も、今日は頑張れないなあと朝から自覚した日も、これ!と選んだコラボTシャツを着てしまえば、ふふん、とわかりやすく上機嫌になる私がいる。とにかく自分のご機嫌取りに「お得」なのが、コラボグッズなのだ。
けれどアニメのプリントTシャツを堂々と着てお天道様の下を歩くには、よくわからない自分の羞恥心が邪魔をする。働き始めて数年、まあまあしっかり「大人」とみられる年頃にもなって、ジロジロ周りの大人たちに服を見られると、とんでもなく居心地が悪い。
別にいいじゃないか!と心の中の私は胸を張っている。だって何も恥ずかしいことはしていない。プライベートの日に何を着たって自由、服装自由化している職場に何を着て行ったって自由だ。でも私はその日まで、一度もプリントTシャツに来て会社に…どころか、プライベートでも、堂々と晒して出歩いたことがなかった。
その日に限って着て行こうと思った理由は、正直、ない。というか、製作者側の作戦勝ちの気がしてならない。
昨今、こういう私みたいな大人のオタク心理を理解しているのか、世のマーケターは「一見わからない」オタクグッズを送り出すことに腐心しているように見える。
小さくアイコンが刺繍された鞄、ありふれたデザインに擬態できるプリントTシャツ。知る人にしかわからないモチーフが施された時計、アクセサリー。ポスターやアクキー、ぬいぐるみ、缶バッチ、そんな「見るからに」なグッズと同じくらい、いやそれ以上に、「良く見ればそうかも!」なグッズが増えている。
私はまんまとその罠に引っかかって、まんまと良いカモにされている。ぐぬぬ…と歯ぎしりしながら、滑らかにお財布を出しているわけである。うっかり自分を律せなかった翌月、クレカ明細を見て震える手が何とも物悲しい。
とはいえ、大人オタク心理をよく理解している製作者様のお陰で、私は世間の目を気にした羞恥心を振り切り、「好き」をすこしずつ曝け出していく勇気を得たわけである。だから一周回って感謝、というか、Win-Win…なんだということにしたい。
ワンピースのTシャツを着て行った日、私はいつも以上に目の前の画面に閉じこもり、他人の視線に気づかないようにした。
恥ずかしそうにしたらバレるし、負けだ。胸を張って堂々としていれば、むしろバレない。まだ心の何処かに残っていた羞恥心をそう割り切って、8時間しっかり働いて、家にたどり着いた。ちょっと気分が下向くたび、自分の服を意識していたからか、いつもより元気に帰ってきた気がした。
誰にもバレなかった。同志にすら、私が明かすまで、気づかれなかった。
確かに、わかりづらいデザインだったからというのもあるだろう。でも案外誰も、相手が何をまとっているかなんて、そんなに気にしていないのかもしれない。
だったらもっと堂々と、何食わぬ顔で「好き」を見せていたっていいんじゃないか?
出がけにも見た姿見の中、私の肩の力が抜けていたからか、白黒の横顔も伸び伸びと表情を晒しているようだった。
今度はもうちょっと、思い切ったデザインを着て行ってみようか。鏡の中の自分と目を見合わせて、んへへ、と私は頬を緩めた。
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