似合う色じゃなく、好きな色。その選択が私の中の何かを変えた

着たい服が、私にはずっと分からなかった。
学生時代、私はいつも母が選んだ服を着ていた。小さなころから、休みの日のたびに神戸や西宮、京都、梅田などへ連れて行かれ、興味もない服屋を何軒も回る。長時間かけて次々と服を見て歩くその時間は、私にとって「娯楽」ではなく、どちらかというと「苦行」だった。
それでも母は、「似合うから」「この形がいちばんスタイルよく見えるよ」と言って、私に服を見繕ってくれた。
きっと、娘を思ってのことだったのだろう。けれど、その積み重ねがいつの間にか、「服を選ぶこと」に苦手意識を持たせてしまっていた。
私の中には、「着たい服がある」と言うことすら、どこか後ろめたい気持ちがあった。
だって、いつも誰かに「似合う」を与えてもらっていたから。
だから学生時代の私は、ずっと「着たい服」がなかった。
いや、そもそも、そういう視点で服と向き合ったことがなかったのだ。
そんな私が、はじめて「自分の意志で服を選んだ」のは、社会人になってからだった。
きっかけは、東京遠征だった。観劇が好きな私は、大好きな舞台を観るために東京へ行くことを決めた。
けれど、どこか心がざわついていた。あの街に行く自分に、何かが足りない気がした。
このままの私じゃ、ちょっと心もとない。
そう感じた私は、「服」という名の“鎧”を必要としていた。
でも、服屋に足を運ぶ勇気はなかった。だから、スマホで通販サイトを眺めることにした。
いつもは避けていたファッションカテゴリーのページを、少しだけ真剣にスクロールしてみる。
そこで、ふと思った。
「似合う色じゃなくて、好きな色を着たい」
それまで私が着てきたのは、茶色や黒、アースカラー。落ち着いていて、肌馴染みのよい色たち。母が私に「似合う」と言ってくれた色。
でも、私が心から「好き」と言える色は、どこかにあったはずだ。
そんなとき、ある服に目が止まった。
鮮やかなブルーのモード系セットアップ。今まで着たこともない、少し攻めたデザイン。
でも、なぜだろう。私はその服に目を奪われた。一目惚れだった。
「これ、着てみたい」
気づけば、購入ボタンを押していた。似合わなかったらどうしよう。派手すぎて浮いたらどうしよう。不安は何度もよぎったけれど、それでも「着たい」が勝った。
服が届く日を、私はまるで誕生日のように心待ちにしていた。
届いた箱を開け、ブルーの服をそっと取り出して、袖を通す。
そして鏡の前で、ふと笑った。
「あれ?なんか、ええやん」
服って不思議だ。ただ着るだけで、心まで変えてしまう。その服を着た私は、いつもよりほんの少し堂々としていた。似合っているかどうかなんて、もはや問題じゃなかった。
「好きだから着る」
その小さな選択が、私のなかの何かを確かに変えた。
それ以来、私は少しずつ「自分の服」を自分で選ぶようになった。服を見ることが、ちょっと楽しくなってきた。
あの日着たブルーの服は、ただの1着の服じゃない。「私は私でいていい」と、初めて思わせてくれた服だった。
誰かに「似合う」と言われたからじゃなく、誰かに求められた姿になるためでもなく、
ただ、自分が「着たい」と思えたから袖を通した。
そんな小さな自由が、こんなにも心を軽くしてくれるなんて。
もし今「着たいけど似合わないかも」と迷っている人がいるなら、私は伝えたい。
きっと、誰もあなたの服をそこまで見てはいない。
大切なのは、「誰かにどう見えるか」よりも、「あなたがどうありたいか」。
あの日の私は、自分の「好き」を信じてみた。そして、自分のことをほんの少しだけ、肯定できた。
自分のために服を選ぶことは、わがままなんかじゃない。それは、自分を大切にするための最初の一歩だ。
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