私は昔から少し変わった女の子だった。

生き物に強い関心があり、毛虫を手に乗せ愛でたり(もちろん刺さない毛虫を選んで)ウシガエルの幼生・巨大オタマジャクシを捕まえては成長を観察したりしていた。
母は普段は厳しかったが、たまにホウレンソウの葉をくたくたに茹でて巨大オタマの餌にくれる事もあった。

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夏が来ると、世界は生命に満ちあふれ、生き物好きの私の血は騒いだ。
初夏、田んぼに水が入りカエル達が合唱始めると、保育園から帰った私はバケツを持って田んぼへと走る。ゼリー状のカエルの卵を手で掬っては入れ、バケツに満タンにして溢さないよう持ち帰った。玄関先で、卵を発泡スチロールの箱に移し替えると母を呼んだ。
喜んでくれると思っていた母は、悲鳴をあげた。

7月。小学校へ入学し、待ちに待った夏休みがやって来た。私は行きつけの駄菓子屋ではなく行きつけのお寺へと足繁く通った。
山からの湧水が流れるお寺の水路には沢ガニが棲んでいる。

お寺へ向かう参道の途中には広場があり、奥には金網張りの大きな鳥舎があった。中には孔雀のつがいが放されており、私はわりとしつこい女だったので、いつも雄の孔雀がその美しい羽根を広げてくれるまで、金網にへばり付いて離れなかった。オス孔雀も毎回プレッシャーだったと思う。

その広場のさらに奥には、水底に落ち葉の溜まった、池というには浅い水場があった。初夏には花菖蒲が咲く美しい場所だった。
その水場にはイモリが沢山いて、私は例のごとく捕まえて飼ってみたいと考えていた。お腹が毒々しく赤いアカハライモリだ。
イモリを捕獲すると決めた夏の日、スルメを糸にくくりつけ、バケツを持ち家を出た。スルメを水に入れるとたくさんのイモリが集まってきた。すくい網などという便利な道具は持ち合わせていなかったため、カエルの卵同様、手づかみでいった。ちなみにイモリは毒々しいが、本当に毒があるので手づかみはお薦めできない。
6才の私は、並々ならぬ集中力を発揮して次々にイモリを捕まえていった。イモリなんてなんぼおっても困りませんからね……と、気づけばバケツの中は真っ黒になるほどのイモリでいっぱいになっていた。
私はこれからのイモリとの楽しい生活を想像して、もう最高の気分になった。

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大量のイモリを手に意気揚々と帰路についた私は、参道の入り口に母がいるのを見つけた。
同級生の男の子の家がそこにあり、母親同士で立ち話をしているようだった。
私のバケツを目にした母は、何かを感じたらしく顔つきが変わった。
私は何だか後ろめたい気持ちになり、バケツを隠し気味に母の横を通りすぎようとした。
母は私を捕まえて、中身を見せるよう言った。
またしても母は悲鳴を上げた。

母は「今すぐ元いた場所に返して来なさい」と言った。

私は母の言葉に大きな悲しみと失望を覚え、何も分かっていない人だと思った。しかし幼心にも妙なプライドがあったため、無言で母の言葉に従った。
よく考えれば怒られるのは当たり前の話だし、そもそも乱獲は良くない。
さっきまで感じていた充実感と幸福感は、絶望へと変わっていった。

私はバケツいっぱいのイモリと共に、泣きながら参道を登っていった。
水辺にしゃがみ込み、イモリ一匹一匹にお別れを言いながらリリースしていった。
最後にバケツに一匹残したイモリは、卵を抱えた雌のイモリだった。私はどうしてもそのイモリを返すことが出来なかった。

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かなりの時間考えた結果、その時自分の着ていたデニム生地のつなぎとTシャツの隙間にイモリをそっと入れた。
隠して家まで連れて帰る作戦だった。

私はふたたび参道を下りた。
胸にイモリが入っているため、多少ぎこちない歩き方になったが、おすまし顔でちらりと母を見て、横を通りすぎようとした。

母は「ちょっと待ちなさい」と私を引き留めた。

「なんかそこ、膨らんでない?」

母の目は誤魔化せなかった。母は鬼の形相になった。

私はもう、プライドも何もかも捨てた。同級生の男の子(ちょっとかっこ良くて好きだった)のお母さんもいる手前、情けない姿は見せたくなかったが、泣きながら訴えた。

「だってこの子はお腹に卵がいるんだから。お母さんイモリなんだから」

同級生のお母さんは、気の毒そうな顔で私と母を交互に見ていた。

私はただ泣いた。
母にしてみれば、だから何だという話である。

「返して来なさい。今すぐに」

私は号泣しながら胸のイモリをそっと抱きしめて、その日3回目の参道を登っていった。

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私も大人と言われる歳になって随分と経ち、ふとあのお寺を訪ねてみた。
つがいの孔雀のいた鳥舎は取り壊され、空き地になっていた。
水場はカラカラに干上がり、生き物の気配すら無かった。
蝉しぐれの中で、あの夏の自分をハグしてあげたくなった。