似合うと言われたくて、似合うを探した。垢抜けとはなんなのだ

女子たちはいつの時代も垢抜けたいと言っているが、垢抜けとは一体なんなのだ。
調べると「洗練される」と書いてあり、では洗練とはどういうことかとまた調べると「磨きをかけて、あかぬけしたものにすること」とのこと。無限ループ。
辞書でさえも垢抜けがなんなのかわかっていないようなので、美容とコスメが好きなだけの私の考えをここに記したい。
小学生から子ども社会に馴染めないゆえに微妙に達観した風になってしまい、高校生までメイクもいまいちわかっていなかった私。
友達に教えてもらったコスメをいくつか購入し、好きなように好きな色を乗せた。見事にコレジャナイ感を爆誕させるものの、何がダメなのかは気付けない。
そこから、服やメイクを一新しようと大学に入った直後に一度パーソナルカラー診断を受けた。診断結果イエベ春。いくつか似合いそうな服を選んでもらった。
黄色いトップスに、デニムのショートパンツ、ウェッジソールのサンダル。ナチュラルっぽさのある、カジュアルな感じ。
「できれば黒髪のままでいたいんです」と主張したら、髪切るようアドバイスされた。それに従って、長かった髪もバッサリとショートにした。
なんだか自分がマシになった気がしたが、似合っていると言われたショートヘアは、はっきり言って全然好きじゃなかった。
でもこれが正解なんだと自分に言い聞かせた。
大学に通うようになってからも依然としておかしな化粧は続く。
BBって何?ファンデとは違うの?ところで最近出てきたCCとは?一旦ぜんぶ塗っとく?
大厚塗り状態は止まることを知らない。
そこからYouTubeでメイク動画を見漁り、ようやく自分のメイクがおかしいことを知る。
なけなしのバイト代で化粧品を集め、持ち前の探究心で黙々と顔を描き続けた。
その頃には切った髪も伸び始めていたので、初めて髪を染めた。
赤茶色に染めた髪が黒髪よりもしっくりきたとき、私は「似合う」ことの重要性に気づく。
より似合うものは、私に合っているものは何かと日夜探し続けた。SNSで見かけるキラキラした素敵な女の子になりたいと思い続けて。
「イエベ春」で日々Twitterを検索しては、勧められたコスメを買った。
どうしたらそんなにキラキラと可愛くいられるんだと不思議に思いながら、ネットでいいと言われていることは片っ端からやり、いわゆるイメージコンサルティングと言われるものはある程度一通り受けた。
「似合う」という言葉の魔力はあまりにも強い。
興味がないものも、似合うと言われればなんだか好きになってしまうし、運命を感じて買ってしまったりする。だから「お似合いですよ」は店員さんのキラーフレーズだ。
私もこの「似合う」に取り憑かれた人間だった。
だってこの世界に、こんな私なんかに似合う服が、色が、コスメが、あるなんて思わなかったから。
似合うと言われたくて、似合うを探した。
最終的には髪色もメイクも服も、似合うものを探せるようになったが…
鏡にうつったのは、SNSで見かけるキラキラした女の子ではない。ただの凡庸な、垢抜けていない自分がいた。
別にダメではない、でも魅力もない。
なんだかおしゃれじゃない人。
おかしい。色合わせもメイクも完璧なのに。服も体型にも顔にも似合ってるはずなのに。
悩み続け調べ続けこの結論に辿り着いた。
「完璧に似合う」は「垢抜けない」。
そもそも、似合うということは安心・安定。
似合うこそ至高だと思っていた昔の私には考えられないが、垢抜けに大事なのは「似合わなくはない」という最低限のラインなのだと。
じゃあ、垢抜けに必要なものは何か。
ここからは私の考えだ。
垢抜けに必要なものは、流行と自分好みのスタイル、それを実現する努力だと思う。
流行を追うことは、おしゃれだ。多少イメコン推奨から外れても流行ってるものは着ていいし、むしろ似合ってないものをメイクや髪型など服以外の要素などでうまくまとめられる人はおしゃれ。
また、どれだけこの自分の好みが自分の「似合う」スペックから外れようと、「好きなもの」にフォーカスし、そんな力技で纏いしっくりこさせる人を、おしゃれだと思う。
イメコンを一通り受けた結果、まっさらな自分に似合うものを探すイメコンの概念は、垢抜けとは別軸にあると感じた。
むしろ、流行をキャッチしつつ自分の好きなものに似合うために主体的に自分自身が変化していけることを「垢抜け」だと考える。
私もまだまだおしゃれ初心者、垢抜け途中。
ただ確実に思うのは、素の自分に一番似合う好きじゃないものよりも、似合わない大好きなものを身につけたときの方が、絶対に人は輝く。
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