可愛い、可愛くないは自分軸で決める。あの時だから着られたドレス

一言で言います。
私は、大学生になってから垢抜けました。特に努力していません。
何かを変えたわけではありません。自分で言うことではないと思いますが、なぜか垢抜けました。
アルバイト中に遭遇した中学校の先生には「あれ?すごい綺麗になったよな?あんまりこういうのいうべきじゃないけれど、中学校の時はもっとおとなしい感じだったよな?」と言われたこともありました。
大学時代は流行りを気にせず好きな服を着ていました。
特にその象徴だったのが、成人式後の高校の同窓会で着たドレスです。
かなり攻めたデザインのドレスを着用しました。
攻めたと言っても、背中が大きく開いてるとか、体のラインを強調しているとか、すごく短いスカートとか、ギラッギラの服ではありません。
どう攻めたかというと、Lalalandのエマ・ストーンが着用しているドレスとほぼ同じデザインのものを着用しました。
明るいブルーで、ハイウェストで、首がきゅっとしまったキャミソールで、スカートがひらひらしているデザイン。
私はエマストーンになりたかったわけではなく、色が濃くて、無地で、綺麗なスカートに惹かれただけ。
流石に肩はボレロで隠しました。
いざ購入して、エマと同じデザインだ!ということに気づいたのです。
自分の経験上、ハリウッドスターと同じ服なんて恐れ多くて着れないから買い直さなきゃ、くらいに思うはずでした。
だけどその時の私はなぜか自信満々で、みんなに似合うと言ってもらえる自信があったのです。
そんなに痩せていたわけでもありませんし、メイクが上手くなったわけでもありません。
むしろLalalandに出てくるドレスに似ていたからこれを選んだんだよ!くらい言い切るくらいでした。
高校時代の私は可愛くありませんでした。学年の誰からも可愛い子リストに上がらないと思うし、仲良い友達も私は恋愛に全く興味がないタイプだと思われていたと思います。
もちろん見た目に自信は全くなかったですし、恋に恋していた状態でした。
ただ、たまに参加する課外活動で世界が広がって、狭い高校生活から視野が広がって、元気になれて、というのを繰り返していた時期だった気がしています。
可愛くないし、彼氏もいないけど、私は課外活動ではそれなりにやってる!という自信があった時期でした。
何事も平均より下の私が、世間では良いと言われている大学に入って、日本から飛び出して働いてみたり、なかなか難しいアルバイトをしてみたり、彼氏ができたり、友達が増えたり、貯めたアルバイト代で好きな格好をできるようになって自信が持てたからこそ着れたデザインのドレスは、高校時代の私では着れなかったと思います。
そこで私は気がつきました。自信というのものは、見た目を磨くだけで身につくものじゃないと。
可愛い・可愛くないは他人が決めることではないと。
高校時代の私なら、どれだけ痩せても、どれだけ着飾っても自信は持てなかったと思います。
だけど、大学生になって、いろいろな経験を積んだ私だからこその自信と、それに似合うブルーのドレスがあると思います。ちなみに、そのブルーのドレスはなぜか2000円でした。だから、服の自信は値段は関係ないと思います。
可愛い・可愛くないは自分軸です。SNSでは見た目の誹謗中傷が絶えないけれど、世の中の可愛いの正解の顔ってあるんですか?って思ってうようになりました。だから、私が垢抜けたかどうかは私に決める権利があります。
さて、同窓会当日の私はどうなったでしょうか。
友達とたくさん写真を撮ったり、自分から話しかけたりできるようになりました。
当時の私はやりたいことをほとんどできていました。彼氏もいたし、バイトもしていたし、翌月にはラオスでの勉強会も控えていました。
自分が頑張れていて、やりたいことをできているという自信があって、目標もあって。
今思うと当時の自信はすごい。エマというトップスターが着ていたものを選んで、人に紹介できる心。今の私には欠けています。
そして今の私は垢抜けた状態ではありません。体重は少し増えてしまったり、休職中だったりして自分に自信はありません。少しずつ、服装でも部屋の綺麗さでもなんでもいいから、持病持ちだけど自信を持てるように頑張ります。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。