私が小学生だったころ、夏休みで楽しみなイベントのひとつといえば「地蔵盆」だった。
地蔵盆とは地蔵菩薩をお祀りする祭礼で、子どもが主役の夏祭りとして受け継がれてきた伝統行事だ。たいていは、地蔵菩薩の縁日にあたる8月24日前後に町内単位で行われるのが恒例。実は京都が発祥の地であり、近畿地方を中心に定着した行事だということは、大学に入って地方出身者と話すなかで知った。それまでは、てっきり全国共通のお祭りだとばかり思っていたのである。

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私の住む町内では、毎年小さな公園で地蔵盆を開催していた。当時、その公園は私たち小学生が集団登校する際の集合場所であり、夏休みになればラジオ体操の会場として毎朝通う先でもあった。地蔵盆の前日くらいにはイベントの準備としてテントが建てられるので、いよいよだとワクワクしながらラジオ体操をしていたのを今でも覚えている。

私にとって、地蔵盆の当日は朝から晩までが本番だった。
夏休みは学期中よりも自由時間が多いとはいえ、普段であればやれ宿題だなんだと制約も少なくない。もちろん、遊びに行くにしたって門限もある。

ところが地蔵盆は、1日を通して何かしらのイベントが行われているので、子どもはみんなソワソワしながら公園と自宅を行ったり来たりする。とてもじゃないけれど椅子に座って勉強しようなんて気は起きないので、親も「仕方がない」と好きにさせてくれていた。
寛大な親の差配をこれ幸いと、私はほとんど公園に入り浸っていた。なにせ午前中から公園に馳せ参じ、めいめいにやってくる近所の幼馴染たちと遊び始める。10時になったらくじ引きでちょっとした文具やおもちゃがもらえた。12時には近くのモスバーガーでテイクアウトされたハンバーガー、おやつの時間にはアイスも食べて。時々テントの下に引っ込んで休憩しながらも、とにかく遊び倒していたものだ。よく熱中症にならなかったなと、我ながら感心せざるを得ない。そして夕方になって少し涼しくなる頃には、大人向けにお酒やちょっとしたおつまみなどが用意され、参加者が子どもばかりではなくなってくる。ビンゴ大会でわいわい盛り上がったら、ラストは手花火で締めくくり。夏の醍醐味がぎゅっと詰まった地蔵盆は、だからこそ20年以上経った今でも、私の脳裏に焼き付いているのだろう。

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だがしかし、完全にテンションが上がり切った私たちが、大人の合図ですんなりと解散できるわけもなく。今日だけは「地蔵盆」という名の免罪符を最大限に利用しない手はない。そこで、たいてい“本当の”最後に子ども同士でやらせてもらっていたのが、町内肝試しだ。といっても町内を1周ぐるりとまわるだけで、おばけ役も隠れて水風船を投げつけるという、かなり物理的な脅かし方だった。それでも暗くなった町内を歩くだけでドキドキしたし、水風船で濡れようが濡れまいがキャーキャー叫ぶのが面白くてたまらなかった。

ただ、時刻はとっくに20時も過ぎていたはずで、なかにはもうそろそろ寝支度をしようという家があってもおかしくない頃合いだ。当然ながら、近所迷惑だったと思う。なのにこの肝試しの件で、私は両親に「あまり騒ぎすぎないように」と釘を刺されこそしていたが、ついぞきつく叱られた記憶はない。きっとこの日だけのことだからと、近所全体で大目にみてもらっていたのだろう。私が幼すぎて気付かなかった、目に見えない赦しがそこにはあった。その温かさが、私にかくも鮮やかで忘れられない夏の思い出を残してくれたのだと、今さらになってしみじみ実感する。

あの夏にできたことは、決して私たち子どもだけでは成立し得なかった。それほどに赦し、守られていたのだ。私はこのエッセイを書きながら、昔言えなかったお礼をそっと胸中で呟いた。