誰にも言えない私だけが知っている夢。自分にだけは語ってやろう

年齢が上がるにつれて、夢を語ることができなくなった。たぶん私だけじゃない。大人になるにつれて、夢を語ることは恥ずかしいことになっている気がするのだ。
保育園の卒園を記念した冊子には、「将来の夢」を書く欄があった。その時は、「モデル」と書いていた。当時の親友と同じ夢を書きたかった。そうたいしてなりたいと思っていなかったが、2人でなれたらかっこいいと思っていた。
小学校低学年の夢は、「お医者さん」だった。足の悪い祖母を治してあげる予定だった。きっと祖母が喜んでくれるから、そう言っていたのかもしれない。恥ずかしげもなく、色んな人に「将来はお医者さんになる」と言っていた。
…あれ?私は今、思ったままのことを書いた。エッセイは、自分の心のままに書けるから楽しいはずだ。綺麗な文章じゃなくても、書き言葉じゃなくてもいいのがエッセイの良さだ。
急に何が起こったのかと、読んでくれている人を混乱させていたら申し訳ない。自分の違和感を語らせてください。
「恥ずかしげもなく」
数十秒前に、私は間違いなくこう書いている。恥ずかしい?夢を語ることが?お医者さんになると言っていることが?恥ずかしいことだったのか?
むしろかっこいいじゃないか。堂々としていて。小さな子どもが大きな夢を語ることは、すごいことじゃないか。
けれどそうじゃなかった。本当の私は、どうやら子どもの頃の自分を恥ずかしいと思っていたらしい。
きっと夢を語ることが恥ずかしいと思うようになったのは、私が大人になったからだろう。モデルになるには、それ相応の容姿が必要だ。お医者さんになるにも、まず医学部に合格して、たくさん勉強をしなければならない。
きっとこの現実を知ってしまったから、私の過去は恥ずかしいものになってしまっているのだろう。別に容姿が特段良いわけでも、努力家でもなかった自分が夢を周りに語っているのだ。今の自分が恥ずかしいと思うのも無理はないのかもしれない。
だがこんなことを考えている今の自分にも夢がある。誰かにちゃんと語ったことはないが。大学3年生になった私は、モデルでもなく、お医者さんでもなく、記者になりたい。報道で、誰かの心と行動を変え、少しでも多くの人が幸せに暮らせるような社会にするのが、今の夢だ。
「夢がない」「やりたいことがない」
そう言う人は周りに多い。だが私にはある。夢は人生のモチベーションだ。今を生きる理由だ。たとえ人に語れなくても、夢を持つことのできている自分を少しでも肯定してあげたい。
恥ずかしい。なれなかったらダサい。なるのは難しい。そんな思いや現実が私を邪魔する。けれど、私に夢はちゃんとここにある。大学生。大人になった。でも、夢は見てしまう。理想を描いてしまう。ここはきっと子どものままだ。人に言うことはできなくなったけれど、自分にだけは何度でも、堂々と語ろうと思う。この夢を。
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