私は幼少期の頃から現実主義だった。小学生の頃の将来の夢は銀行員だとか市役所勤めの公務員だとか、夢というには現実的すぎるものだった。

その思考は両親が現実的に考えることを教えてくれた影響であると思うが、私も両親の教えに納得していたため、根本的に現実主義の性格なのだろうと思う。
私は人生を堅実に生きたいと思って過ごしてきたから、夢を持って生きてきたかと問われれば否だ。いや、夢は描いてもそれを追おうとはしない生き方をしてきた。
だって、夢でご飯は食べられないし。

◎          ◎

例えば、ウェディングドレスデザイナーになりたかった。私は裁縫が好きで、家庭科の授業が好きだったから、被服科に行って服飾系の職人になりたかった。
例えば、小説家になりたかった。小さな頃から読書が好きな私は、自分で物語を書くことに憧れた。絵本も好きだったから、小説だけでなく、絵本作家も目指してみたかった。
例えば、お花屋さんになりたかった。フラワーデザインなんかを学んで、美しい花束を作れる人になってみたかった。

例えば、これは少し現実的だけれど、都会でバリバリ働くキャリアウーマンになりたかった。高いビルで、ビジネスカジュアルな服装でカッコよく働いてみたかった。
描いた未来はいくつもある。でもそのどれも選択しなかった。その道に進むと決められなかった。

◎          ◎

どれも不安定で、堅実な道とは思えなかったから。キャリアウーマンも、体力がなくてメンタルも弱くて、平均的な能力しか持ち合わせていない私には現実的ではない。

結局辿り着いたのは、地元の中規模の会社。一応資格職ではあるため転職はしやすいが、描いた未来ではない。憧れた職業でもなく、自分でも取得できるレベルの資格職を選んだところに現実主義な私が出ていると思う。
地に足をつけて毎日生きている、平凡な人間。それが私だ。

◎          ◎

でも最近、それじゃつまらないと思うようになった。

仕事で様々な人と話すようになって、その人たちの過去や経験を聞くようになって、平坦な道を歩いている自分は誰かに語れる過去も経験もないと思った。まだ若いからと言われるかもしれないが、平坦な道を歩いている限り、平凡エピソードしか生まれない気がする。
誰かに語れる経験をしたいわけではないが、平凡エピソードしかない人生ではつまらない人間になりそうだ。

平凡が嫌いなわけではない。むしろ平凡で普通の人生は、辛いことや過酷なこともなく幸せな人生と言えるから、最も良い生き方だと思う。現実主義とはそれを目指しているものだろう。石橋を叩いて渡って堅く安全に過ごすこと。私はそれを大事にしてきた。

でもたった一回の人生だし、人生楽しんだもの勝ちだとよく言うし、それならやりたいことはやった方がいいのでは。少なくとも、今でも夢だと思っているものがあるのなら、一度チャレンジしてみてもいいんじゃないか。
意外と紆余曲折ありつつ生きている周りの人々の話を聞いて、そう思った。

◎          ◎

とはいえ、私の現実主義な思考は簡単に変わるものではない。失敗を恐れる私には、現実的ではないと進まなかった道にこれから進むことはできなかった。
だが幸いなことに、私が憧れた職業は趣味としては行いやすいものだ。独学でも服は作れるし本は書けるし花はアレンジできる。キャリアウーマンは、現在の職場でそれっぽくやってみたりして。

今の職場は残業はほとんどないし、有給もしっかり取ることができる会社だ。副業も許可されているため、どこかでアルバイトをしてみたりするのも良いかもしれないと思っている。それこそ、お花屋さんとかで。
人生楽しんだもの勝ちだから、今までの夢をこれからの趣味にして、楽しく生きていきたい。