留学という言葉を、昔の私はずっと「若い人のもの」だと思っていた。

大学生とか、あるいはもっと若い世代が、人生の前半で経験する特別な時間。
だけど、今私は29歳。結婚もして、日本では仕事も順調で、日々に困っているわけではなかった。

そんな私が3ヶ月間という短さではあるけれど、マレーシア・クアラルンプールでの留学を選んだ。

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たった3ヶ月、されど3ヶ月。
30代目前の最後の夏に、この選択をした自分のことを、今はとても誇りに思っている。もうすぐこの留学生活も終わる。残り1ヶ月を迎えた今、この街の空気や時の流れがすっかり自分の身体に馴染んできた。

予想していなかった気づきの一つが「簡単に学生に戻れるんだ!」という実感だった。

私は高校を卒業してすぐに専門学校に通い、その後はありがたいことに順風満帆な社会人生活を送ってきた。ブラック企業とは無縁だったし、休みも取れた。海外旅行にもよく行ったし、人間関係にも恵まれていた。だから、「学生に戻りたい」とか「やり直したい」とか、そんな気持ちは沸いたことが無かったのだ。

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でも今こうして異国の地で、もう一度学生として教室に座り、人によっては10代のクラスメイトたちと机を並べ、宿題に追われ、時にはテストの点数で落ち込み、先生の話を真剣に聞いたりする。そんな日々を過ごしてみて、人はいつだって、本気で学生に戻れるんだ分かったのだ。

たとえば20歳そこそこのアラビア人の子と恋愛の話で盛り上がる。中国人の友達と酷いテストの点を見せ合って爆笑する。チュニジア人ルームメイトと休日に公園のベンチでお喋りする。年齢も国籍も関係なく、ただ“同じ学生”として並んで笑い合える。年齢なんて気にされないし、私自身もほとんど気にならない。

先日、ギニア人の友達が突然涙を流した。
「今が楽しすぎて、みんなが離れていくのが寂しくて」と。
それを見て、私もなんだか泣きそうになった。たった3ヶ月でも、拙い英語でも、こんなにも人と繋がれる。私たちの共通言語は完璧ではない英語だけなのに、だからこそ言葉よりも、繋がろうとか理解したいと思う気持ちがずっと強くて、ストレートに伝わってくるのだ。

この留学で、私が得たものは英語のスキルだけじゃない。
年齢に縛られない人生の選択の仕方、自分の可能性に線を引かない生き方。
社会人になって、大人になって、守るものが増えて、挑戦するのが怖くなっていく人が多い中で、こうしてアクティブな選択を選び取れたこと。それ自体が、私の人生の大切な糧になったと思う。

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留学って、誰のためでもなく自分のための時間だった。会社の中の1人でもなく、妻としての自分でもなく、私だけにフォーカスできる。
そして何より、どんな年齢だってもう一度学生に戻れる。その時間は想像以上に価値のあるものだった。あのとき踏み出した自分に、心からありがとう言いたい。

留学が誰にとっても人生を豊かにするとは思わない。でも私はこの留学で確実に一生の思い出がひとつ増えた。
ひとつひとつの自分の選択が間違いなく種であり、何かが咲くだろうと思えるような、ひたすらに自分のための時間。学生として、子供みたいに学びと自由に使える時間。
この歳でもそんな素敵なものを得られるなんて、知れた私は本当にラッキーだと心から思う。