スッピンと部屋着で花火を観に行く。何も気にする必要なんてなかった

夏の風物詩の一つである花火大会。毎年、今住んでいるマンションから徒歩20〜30分くらいの場所で開催されている。何年も住んでいるのに、私はそこの花火を一度も見たことがなかった。音が聞こえて「あ、花火大会が始まったんだな」と思ったり、動画サイトで花火大会のライブ映像を見たりするだけ。
花火は好きだけれど、わざわざ人混みに行くのがしんどい。どうせ1人でまったりしている休日なので、花火を見るためだけに着替えてめかしこんでいくのも面倒くさい。まあ、そんな感じで色々と理由をつけていたら月日が流れ、また今年も花火の時期が来たわけである。
今年の私はというと、花火大会当日にまたしても家にこもって寛いでいた。今回も、またライブ配信を見ればいいかなと思っていた。でも、午後になって何となく気になりだした。
「そういえば、まだ夏っぽいこと何もしてないなー」と、気づいたら頭の中が花火のことでいっぱいになっていた。猛暑が続いていて休日は巣ごもり状態だったけれど、思い出のない夏は寂しい。何か勿体ないかも。それでも決心できなくて、しばらくベッドでゴロゴロしていた。早めの夕食を取っているときには、花火大会が始まる1時間前になっていた。「どうする?行く?」と自問自答を繰り返した結果、やっと行くことにした。
幸いまあまあ可愛いルームウェアだったので、とりあえず服装はそのまま。顔は日焼け止めと軽くフェイスパウダーをつけただけ。髪は爆発していてさすがにヤバかったので、軽く整えてから家を出た。
駅と反対方向で人が少ないルートを通っていたので、花火が見えるスポットへはスムーズに向かうことができた。到着すると子ども連れやカップル、ちらほら私みたいに1人で見に来ている人がいた。私の姿を見られたくなかったので、まるで忍びのように大人しくしながら始まるのを待っていた。「恥ずかしいから途中まで見て、さっさと帰ろうかな」と、考えていたときだった。目の前が一気に明るくなった。花火大会が始まったのだ。
色んな大きさ、形、色の花火がどんどん現れる。私は、まるで子どものようにワクワクしていた。時々、ちょっと形が崩れてしまっている花火もあったけれど、それはそれで趣があった。「花火の職人さんたちが一生懸命作ってくれたんだろうな」「色んな人たちのおかげでこんなにステキな花火を見られるんだな」と感動していて、私の中の恥ずかしさなんてとっくに吹き飛んでいた。
周りの目を気にしているのは私だけだった。みんな次々と打ち上がる花火に夢中で、私がどんな格好をしているかなんて見ていない。
ほぼスッピンでルームウェアを着ていても笑う人なんていない。大きくてきれいな花火がいっぱいの空を見上げながら、私は「勇気を出して見に来てよかった」と思った。1人で見る花火もいいけれど、来年は大好きな人と一緒に見に来られますように。
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