コロナ禍になる一年前、自由に飛び回って手に入れた景色たちは宝物に

自分にとってここ数年振り返って、印象に残っている夏は、2019年だと思う。
あの夏はコロナ禍になる1年前だった。
その年の夏は、ライブイベントのために毎月1回休日は、地元を出て、京都や名古屋や大阪に1人で行った。
安月給だったけど、実家暮らしであったことや、ポイ活や、日々弁当水筒持参、残業代で、毎回費用を捻出していた。
正直言ってあの頃は、仕事に対して、やりがいも、楽しさも皆無だった。
でも、自分自身2年後には、結婚して、地元を出るという人生計画を立てていた。移住先は、今以上に県外に行くのが、コストも時間もかかる。私が色々な場所に飛び回れる時間にはリミットがあったのだ。
だから自由な独り身のうちに、地元を飛び出してイベントに行く非日常が、限りあるあの時間がとにかく充実していた。その非日常のために、私は若さを削って残業していた。
名古屋は1人でよく行っていたが、京都や大阪は、修学旅行や、家族旅行で行ったことしかなく単身は初めてだった。それは自分にとっては冒険だった。深夜、家の近くのバスに乗り、早朝到着し、下車するとまだだれも人が行き来してない町の朝の空気は、爽やかだった。
思い出に残っているエピソードとしては、京都は、当時は世間的にタクシーアプリがリリースされたばかりで、かなり高い割引率のクーポンが付与されるキャンペーンが開催されていた。とにかく安くて早く京都内を移動できた。
京都のタクシー運転手の方は気さくに私に話しかけてくれた。どこから来たのか、何目的で来たのかと尋ねられた。ライブ目的で来たんですと語ると、先日京都もイベントがあってその時は稼がせていただけましたよと楽しそうに語っていたのを思い出す。
また中学時代、修学旅行に行った際、抹茶パフェを食べてみたかったけれど、結局食べることができなかった。大人になって一人旅の今なら自由だなと思い、マカロンや焼き八つ橋や3色団子が乗った抹茶パフェを食べたのも、大人になって叶えられた子供の夢を感じられた。
名古屋に行った際は、イベントついでに友人と会った。その友人はSNSで出会った所謂同担(同じ人を応援している)である。年は私の母親と同じぐらいの年代だけど、いい意味で年の差を感じさせない話しやすくて、親しみやすい素敵な人だ。私が名古屋に来た際は、その友人に会えませんか?と連絡すると、予定を確認してくれて、名古屋から遠目の場所に住んでいるのにわざわざ会いに来てくれていた。
友人にいつも私が名古屋に来た際食べに行ってるおすすめ名古屋めしの店をつれていって、名古屋めしに舌鼓をうちながら、自分の好きなことを語り合った。
私はその時は信じていた。来年の夏もこのように、イベントに行ったり、友人と楽しい時間を過ごせると。
しかしその翌年2020年の春、新型コロナの蔓延により、行く予定だった、ライブイベントも軒並み中止になった。それは夏になっても変わらなかった。
会社にもルールが設けられ、県外への行き来は一部除いて禁止された。
私自身追い討ちをかけるように、その年の春に上司が変わった。しかし、その上司と反りが合わずどんどんそのストレスが心や体に出るようになった。
そんな辛い時、楽しかった2019年の夏過ごした充実した日々を思い出した。あの夏名古屋であった友人が昔こんな言葉を教えてくれた。
旅は人生の宝って言う言葉である。その意味が今わかる気がした。どこにも行けない今、楽しかった旅が思い出として蘇る。行った時はたくさんお金はかかったけど、自分の中の財産として残ると。
時は流れ2025年の現在、あの時たてた人生計画通り仕事を辞め、結婚相手のいる場所に引っ越した。あの頃みたいに県外へ自由にはいけないけど、今は今の生活の楽しさはあるが、2019年のあの充実した夏のことは今でも思い出し愛おしくなるのだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。