私は、夢は持っておいて良かったと思う派だ。幼稚園生の頃に将来の夢が決まり、そこから興味のあることがぐっと絞れた。小学生の卒業文集に書いた将来の夢も変わらず、中学では夢を叶えるために進学すべき高校に入るべく勉強をした。夢は、私にとって勉強のモチベーションとなってくれた存在だ。今、常識があると言えて、義務教育は身についていると自信が持てるのは、間違いなく将来の夢を早くに決められたからである。

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将来の夢とは、医者になることだ。理由は、テキパキと働く姿がかっこいいから。ドラマを見て、主人公の医師に憧れた。医学という、難しい世界を理解できることへのかっこよさも同時に感じられたのだ。

まだ幼かった私は、大きくなったら何になりたいの?という家族の質問に、大きな声で、お医者さんになる、と答えていた。家族には、たくさん勉強しなければいけないよ、と言われた。もちろんその大変さをわかっていなかったので、へぇ~と人ごとのように思い、勉強をすることが大切なのだ、と漠然と頭の片隅に残していたようなくらいだった。

小学生になり、勉強や宿題が始まった。昔から、1度自分の中で決たことは思い続ける持久力がある。そのため、医師になることをモチベーションに勉強に励んだ。テストは100点を取って当たり前。医者になるにはそれくらい卒なくこなせないと意味がない。自分を追い込んで、周りの、賢いね、すごいね、という声をすべて聞き流していた。

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中学生になると、途端に勉強をしなくなった。小学生はそこまで勉強をしなくても人生に関わるほどの勉強内容ではない。しかし、中学生からは一気に難易度が上がった。テストで思うように点数がとれなくなり、自分で決めた、ここまでは取れていたい点数も大幅に下回った。やばいと思いながらも、医者になる他に目先のことに興味を持つ年頃でもあった私は、携帯やテレビに逃げるようになった。

そんな私を見かねた親が、近所の学習塾に入れた。入塾テストでは、このままでは進学できる高校がない、とまで言われた始末。そこから受験が終わるまで、塾に通った。もちろんすべての時間を、闘志を燃やしながら勉強に費やしたわけではない。さすがに電池が切れたときもあった。塾の指導がかなり手厚かったので、高校受験は成功した。

高校からは、塾にも通ったが、ほとんどは自分の力で勉強をしていく。自主学習へのサポートを大いにしてくれる学校だったので、放課後の勉強は閉門までいたるところでやって良いという環境だった。だが、想像以上に高校の勉強は難しかった。高校まで進学すると、次に目指すのは、医学部医学科だ。ここでようやく、自分が目指しているところが桁違いの学力を要求していることに気づく。通っている高校のなかでも、天才と呼ばれる人たちしか進学できないような学部を進学希望先としていたのだ。どう頑張っても天才たちに追いつくには時間も頭のキャパシティもない。現実に限界を感じた私は、ここで進路変更をした。医師になるという夢を諦めたのだ。

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夢は諦めた。しかし、諦めるまでに勉強に力を入れてきたことは、後悔していない。医学部医学科進学できなかったことは悔しい。今でも私が進学していたらどうしていただろうか、と考えるときもある。だが、勉強は頑張る、難しいことも挑戦する、上を目指すといった努力をしたことは事実だ。

ニュースや時事問題に違和感を覚えることも、クイズ番組でテレビの前に座って答えているあの時間も、すべては勉強した時間があったから。知識として学べて、自分なりの思考回路を作れているからだと思う。小さいときに大きな夢を持てたことは、とても意味のあることだと思った。だから私は、夢を持つことには大いに賛成だ。

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1点だけ、夢を持たないことが不正解ではない、ということも伝えておく。今夢がなくても、なりたい自分がいなくても、それはだめなことではない。なりたくない自分を避けるように自分を作っていけば、それも努力になるだろうし、そこからなりたい像が見いだせると私は思う。

いつか自分が、これまでの自分を褒められるときがくる。私にとってそれは、将来の夢を抱き、夢に向かって勉強に取り組んだ自分だった。やってよかった。だから今がある。数少ない、私が自画自賛できるポイントだ。