私は物心がついてから常に夢があった。最初にできた夢は医者。近くの医学部に入りたいと言っていたらしい。
幼稚園に入るとピアニストになりたいと言ってピアノを習い始めた。留学のためにドイツ語も勉強したりした。
小学6年にもなると夢が研究者になった。
夢があるとそれに向けて本気になれる。「なれるか不安」なんて考えたこともなく「なれると思う」と思っていたわけでもなく、夢に向けて進学等準備を常に進めていた。

一方で遠い先の夢だけでなく身近な夢も常にあった。例えば「受験に合格したい」とかだ。人一倍集中力のあった私は、受験合格に向けて真剣になった。物事に本気になった初めての経験。受験は無事に合格、そりゃそうだろって言いたくなるくらい、感慨深さもないくらい、本気で勉強と向き合っていた。

◎          ◎

その後も常に夢を持ちながら生きてきたが、一度熱望していた研究者になりたいという夢を諦めたことがある。
それは就活の時だ。研究職が難しいと悟った私は研究以外の仕事を考え始めたのだ。夢を諦めた時はカフェでずっと泣いていた。この時私は初めて夢を持たない期間を過ごした。

一度、「今初めて夢がない」と友人にこぼしたことがある。

「私は夢なんて持ったことないから、これまで持っていたのがすごいよ」と友人に言われた。

その言葉で、夢を持っているというのが、どれだけ貴重でどれだけ幸福なことだったのか気がついた。思い返せば、夢を夢と思わないくらい、努力を努力と思わないくらい色んなことに本気で取り組んできた。

また同時にもしかしたらまだ間に合うかもしれない。やっぱり研究者になりたい。改めてそう思った瞬間でもあった。

◎          ◎

そんな時、ふと思い出したのは受験の時だった。あの時、叶えたい夢があると思うこともないくらい集中して勉強していた。受験の経験は、「あれだけ私は頑張ることができる」という確かな自信に変わっていた。

それから私は集中して就活に取り組んだ。OB訪問をしてアドバイスを聞き、指導教官と相談を重ねた。そうして内定を勝ち取った。受験の時と同様に、泣くこともないくらい、私はやり切ったんだという実感に覆われた。

◎          ◎

就職してからは再び夢のない期間を過ごした。どこか仕事に本気になれないまま、このままじゃいけないと私は自分探しをするかのように一人旅に出かけた。

久しぶりに足を踏み入れる馴染みの土地を訪れた。一人旅は良い。悩みとか不安とか余計なことを考えている余裕なんて常にないからだ。旅に真剣にならないと、危険が伴う。

前にこの土地に来た時はまだ学生だった。何かに追われることもなくただ夢を追い続けていたころだ。当時はなんのしがらみもなく、淡々と旅行を楽しんでいた記憶がある。

一人旅という一種の瞑想状態の中、ふと私は仕事を頑張りたいと再び思った瞬間があった。まるで悟りを開いたかのようだった。「ああ夢を持つって素敵なことだな」と帰国の飛行機の中でやっと実感をした。なぜか思わず泣きそうになった。

◎          ◎

昔は夢のない人に対して「夢を持つべき」「なんで夢がないの?」と思っていた。でも今はそんなふうには思わない。夢があるって素敵なことだし、何よりもとても幸運なことだ。

夢が叶うってすごいね、とよく言われる。でも何より幸運なことは、夢が叶ったことよりも、夢があり続けていたことなんだと今では思う。