幼い頃抱いた憧れに向かって突っ走った。夢を叶えて、今休憩中

幼稚園の年中組だった私は、担任の先生のことが大好きだった。笑顔が可愛くて優しくて。
「先生みたいになりたい」
高校3年生になり、今後の進路を考えた時もずっと胸の中にあった。憧れの先生と同じ大学を目指した。県外受験だが、その先には母園で働けるチャンスもあるかもしれないと思った。
父は、朝6時半から朝勉に向かう私を、毎日のように車で送ってくれた。母は、お弁当を出発時間に合わせて用意してくれた。高校の先生たちは、朝早くから学校を開けてくれ、放課後にはいつでも質問に答えてくれた。友達と時には泣きながら励まし合って、共に勉強した。本当に本当にありがたい環境だったと思う。
センター試験当日。得意の国語で敗北。先生たちの言葉を素直に守り、家で自己採点しなかった私は、翌日、クラスでの自己採点の時間が終わると、涙が止まらなかった。
泣きすぎて疲れたのに、まだ泣きながら家に帰った。迎えた母は、なんと声をかけたらいいか迷ったと思う。初めての挫折経験だった。
そんな私に、父は怒った。いつまで泣くのか、泣いていても何も変わらないだろうと、たぶんそんな内容だった。
志望大学のランクを落とし国公立大学を目指すのか、それよりも行きたい私立大学があるのか、私の意見を聞いてくれた家族会議の時間が頭に残っている。
私は、志望大学を変えた。オープンキャンパスに行き素敵だと思った、あの私立大学に。そこからは、もうやるしかなかった。崖っぷちに立った気持ちで3教科を勉強した。もしかするとこの時期の勉強が、1番効率が良かったかもしれない。
受験当日。今の私の学力では難しいと言われていた英語で、奇跡が起きた。最後の長文問題は、小さい頃に何度も何度も漫画で読んだ、マザーテレサの伝記だった。長文を読まなくても答えが分かった。
その日の試験は合格だった。なんちゃって合格かもしれないが合格は合格だ。
母が実は調べていたんだと、もし私が合格したら言おうと思っていたと、興奮気味に話した内容に驚いた。母園とその大学の付属幼稚園は、姉妹園だった。私の欲しかったご縁は、ちゃんとつながっていた。
幼稚園の先生の資格を取るために学んだ大学4年間。私は、かなり熱心な学生だっただろう。学部の座学や実習だけでは足りず、ボランティアやアルバイトでも経験を積んだ。母園には、希望して実習へ行かせてもらった。両親は、新幹線代を負担するから行ってこいと、応援してくれた。
就職を決めたのは、母園と同じくらい素敵な幼稚園。職員室に席があることに感動した。もらった職員名札が嬉しくて、肌身離さず付けていた。夢を叶えた。嬉しかった。
幼稚園教諭は、素晴らしい仕事だ。子どもたちは可愛い。子どもたちの心が成長する瞬間に立ち会える。保護者の方々や同僚とその瞬間を共に喜ぶことができる。
子どもたちのために頑張った分は、大きな喜びとなって、また保護者の方からの厚い信頼となって、返ってきた。熱心な同僚の先生方からは沢山の刺激を受け、何より自分自身が大きく成長できた。
頑張る代わりに心が削れていくような感覚になったのは数年経った頃だった。自分の異変に気が付けたのは良かったのかもしれない。常に上を目指し、今日も明日もMAXのパフォーマンスをすることに疲れてきていた。
思えばここまで、保育への熱い思いを持って突っ走ってきた。子どもたちや保護者の方、同僚たちからいただいた、大きく温かな愛を胸に、保育の現場を一度離れ休憩しようと思った。彼が快諾して背中を押してくれたことが勇気になった。
休憩に入り、今5ヶ月。
興味があったので、カフェで働いてみた。盛大に結婚式もしたし新婚旅行にも行った。専業主婦も楽しんでみた。
そろそろ保育したいな、と思った。
私の心と、今ある幸せな生活を大切に大切にしながら、保育ができたらいいなと。
私の夢は形を変えて、ずっと続いていく。
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