留学をして英語よりも大事なことを学んだとか、人生観が変わったって言ったら、「英語が身についていない人の負け惜しみ」と思われるかもしれない。けどそう思われてもいいから、私は声を大にして言いたいと思う。生きやすくなった、と。

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私はカナダへの留学で「自分は自分のことを愛せていない。もっと好きにしたらいいじゃん」と思えるようになった。街ですれ違う人たちの目の前にはレッドカーペットが敷いてあるようで、「自分が人生の主役」という雰囲気をまといキラキラしていた。好きな格好をして時には自由に振るまう姿が、私の心も解放してくれた。

例えば、バスの中でつり革で懸垂を始める人がいたり、頭にチーズの帽子をかぶって颯爽と歩いているおじさんがいたり、それはそれは楽しかった。他にも、後ろに2〜3人並んでいるのに、気にせずお客さんと喋り続けているカフェの店員さんには、イラッとするどころかリスペクトさえ抱いた。

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その中でもひとつ、忘れられないエピソードがある。それは、愚痴を聞いてもらうために、外で友達と電話をしていたときのことだ。私からはムンムンとした雰囲気が出ていたはずなのに、そんなことはお構いなしに「この橋をバックに写真を撮って」と頼んできた女性がいた。思わず吹いてしまった。電話の向こうの友達も笑っていた。

とりあえず私はスマホを向けた。その瞬間、彼女は右足を斜め前に出し、あごをぐっと下げて目線を斜め下に向ける。海外の人はモデルのようなポーズがすぐにできるのがちょっとうらやましい。

私はあまり写真が好きではなく、撮られるのも撮るのも慣れていない。だからいい画角がわからず、とりあえず「スリーツーワン!」と言って何枚か撮り確認してもらった。すると「もっとこの角度で撮り直して」と注文をつけられた。「図々しいな」と思ったけど、それより自分のことが好きでたまらないその姿にこちらまで愛おしさを感じて、思わず彼女と握手をしたくなった。周りの目を気にしがちで背中を丸めながら歩いている自分とは大違い、そう思った。

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日本にいたときは「自分のことが嫌い」と思っていた。けど彼女の振る舞いは、それはすごくもったいないことだと気づかせてくれた。「好き」とまでは言えなくても、せめて「私は私でいい」って思わないと。レッドカーペットを歩く勇気はないけど、自分の信じた道をまっすぐ歩いていけばいいんじゃないかって。「勝手に背丸めなくていいんだよ」と思えるようになった。

そこから私は「どうせ私は帰国するんだから、残りの時間をもっと自由に過ごしてみよう。誰かにどう思われるかを考えない生き方をしてみよう」と決めた。毎朝その言葉を言い聞かせて1日をスタートさせた。だから店長にも「いつ時給上げてくれるの?」と言いたいことは言えたし、公園でひとりダラダラ寝ることも、日本では着たこともない肌を多く見せる服だって抵抗なく着て過ごした。するとだんだん「人生は一回きりなんだから、海外にいようが日本にいようが、好きに生きたらいいんだよ」と思えるようになった。

そんな強気だったのに帰国して数年たった今、気づくと背中が丸まっている。それでも昔とは違う。だって背中を丸めていることに気づけているし、「丸めなくていいんだよ」って自分に声を掛けられるようになったから。そう思えた瞬間、息がしやすくなるし、ちょっとだけ強気になれる。目の前にレッドカーペットはなくても、しっかり自分の人生に仁王立ちできている感覚になれる。

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だから、私は胸を張って言う。留学をして英語がペラペラ話せるようになったわけではないけれど、自分を大切にしたいと思える自分に変われた、と。