手放した小説家の夢。夢を小さく畳んだら、世界が開けた

八月の初旬のこと、わたしは高速バスに揺られながらぼんやりと車窓の外を眺めていた。八月の空は、藍染の最後のころの、とても薄い水色と呼ばれる「瓶覗」に似た色にふわりと染まり、生命を宿した稲がぴかぴか、青々と茂っている。
ふと、小さな森にさしかかったとき、どこからか蝉の鳴き声が聞こえてきた。みぃんみぃんと鳴くその声を聞いていると、彼らは残り少ない命を抱えながら、なんとか次世代に生命を繋ごうとしているのだ、とたしかに感じられる。まるでその様子は、人々が丹精に祈りを込めて灯した灯籠のようで、その健気さと美しさにはっとさせられる。
蝉には、果たして夢があるのだろうか。一般的に、蝉は幼虫で3〜7年間生き、地上では2週間程度生きるという。では、彼らが待ち望んでいた地上に出たら、夢は果たされたことになるのではないか。夢を得たあと、彼らはどんな気持ちになっているのだろう……。
そんなつまらないことを考えていたら、景色はあっという間に都会のビル群に変化していた。わたしはバスを降り、人混みにまみれてゆく。
わたしの小さな頃の夢は、小説家になることだった。小説家になろうと思った背景には理由があって、毎週土曜日になると、小さな妹を連れて、母はわたしと図書館によく出かけていたから、だと思う。
魔女や不思議な能力を持つ女の子が登場する海外文学をはじめ、岩波文庫、日本人作家が描く親しみやすいファンタジー、ミステリー小説、装丁が美しい絵本など、あらゆるジャンルを読んだように記憶している。
ページをめくるたび、現実とは違う世界が浮かんでくるのが面白くて仕方がなかった。それは魔法の扉を叩くようなものだった。読むことが好きなら、創作に興味を持つことは自然なことだろう。十歳頃から、わたしは自分で物語を創り始めた。頭のなかで、自分が考えた登場人物がくるくると、楽しげに話しているのが本当にわくわくしてとまらない。もっと考えていたい。もうひとつの居場所はここだと、心から実感していた。
高校生になると、文芸部に入り、大学でも文芸創作を専攻することを志すようになった。そうしてわたしは、無事に文学部に入学して、大学で文学論や文芸創作を学ぶこととなった。出版社に就職することはなかったけれど、在学中には出版社でアルバイトの経験を積むことができたし、図書館司書の資格も取得した。まさに、文学を軸とした生き方といえるのではないか。
一方で、大学で本格的に文学を志すようになったことで、小説家になることは無理だ、とわたしは早々に諦めることになった。プロの作家の文章と、自分が書く文章と話の構成について比較をすると、自分の文章の拙いところばかりが目について、大きく自信をなくしてしまったのだ。文学に対する教養や観察眼が鋭くなったからだろう。良いことなようでいて、執筆活動に制限がかかるようになってしまった。その期間は、霜が足をおりてゆくような感覚に似た、本当に辛いものだったように記憶している。それからというもの、わたしは本業を持ちながら、趣味程度に自分の気持ちを綴る、そんな執筆活動を続けられたらいい、というささやかな夢を持つようになっていった。
現在、わたしは本業をしながら、こうして「かがみよかがみ」などで執筆活動を続けている。そうして、本当に時々、短編小説を綴ることもある。そういう意味では、夢は果たされている、といえるのかもしれない。
わたしは小説家になるという夢を持たなくなったけれども、見方を変えれば、それなりに幸せな小さな夢を得られたといえる。夢を持つこと、持たないこと。それは人生の意味を見つけるための羅針盤であり、自分の幸せを後押ししてくれる、そよ風のような、やさしい音がする、そんな気がする。今日も、わたしは自分の思いを綴る。まだ見ぬ誰かに届きますように、と祈りながら。
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