夢を持つ人は美しい。キラキラのヘアピンを夢中で眺めていたあの頃

年齢も30歳目前になり久しぶりに「夢」という言葉に触れた。私はその響きのまぶしさに劣等感を感じてしまい、昔から苦手意識からか気後れしてしまう。夢についてマイナスな印象があったからかもしれない。
私たちは幼い頃から周りの大人に夢を聞かれ、将来について考えさせられる。「将来は何になりたいの?」「あなたの個性や強みは?」はっきり言ってアラサーになった今でも自分のことなのによくわからない。1週間を乗り切るのに精一杯で、将来はお金や生活の不安を挙げたらきりがない。私だけにしかないすごい特技も個性も持ち合わせていない。今の私に夢はない。
今までに夢を持ったことはもちろんある。私の物心ついた頃、記憶にある一番最初の夢は美容師さんだった。理由はキラキラのラメがついたヘアピンや、透きとおった飴玉みたいな装飾のついたヘアゴムが好きだったのと、母の髪を梳いてお気に入りのそれらで結うのが楽しかったから。時間をわすれて、その宝物たちを眺めるのが幸せだった。おしゃれな美容室に行ったことはなかったけれど、髪を可愛くしてくれる人というのが美容師さんのイメージだ。
だけど私は生まれつき肌が弱くて手がカサカサだった。そんな私に母は、水仕事はお肌がかわいそうだから美容師さんは無理かもねと言った。その言葉は意地悪で言ったわけでなくて、私を気遣っての一言だったのだと思う。だけど当時の幼かった私は憧れと好きと、大切な宝物を否定された気持ちになった。大人の、特に親のネガティブな一言は子供にとってガツンと重く、心の底に容易く根を張った。
それは私がはじめて好きを諦め、夢に挫折した日かもしれない。そして私は夢と対峙するのが怖くなった。人に否定されたりバカにされるかもしれない。努力が実らないかもしれない。だからそれを直視しないよう、ぶつかってしまわないよう無意識に避けて生きてきたのだと思う。気がつけば世間体や人の目を気にして、仕事や人間関係で自分を主張することが苦手になっていた。なんだかなあ、と心のどこかで日々モヤモヤを感じている。
最近SNSでヨガをしている女性の投稿を観た。しなやかな動きは熟練されていて、穏やかな表情がとても素敵な女性だった。驚くことにその女性の年齢は70代前半だという。投稿をさかのぼってみると、50歳のときにヨガに出会ったらしい。その女性は会社員を辞めヨガの道を志し、今ではインストラクターをしている。それを見て私はハッとさせられた。夢を持つのに年齢も人の目も関係ないのだと。素直に好きなことを体現していることが、とてもかっこいいと思った。そこで私は好きなことに純粋に目を輝かせ、夢中になっている人に憧れているのだと気がついた。何かに夢中な人が羨ましい、こんな風に自分もなりたい、そんな感情があるのだと。
今の私に夢はない。夢がないことは悪いことではない。だけど自分の好きを知っていくことはできる。自分が思う楽しいを選択することはできる。幼い頃に、誰の目も気にせず夢中でキラキラのヘアピンやヘアゴムを手にとり眺めていたあの時間のように。夢を持った人は輝いていて美しい。私は私の夢を持つことを夢に見ている。
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