2025年2月、社会人3年目。私は児童発達支援事業所で保育士として勤務していた。昨年の秋から冬にかけて職場環境や人間関係が体質に合わなくなり、悩んだ結果、働く環境を変えたい一心で転職を決意。

4月から一般市民向けの複合施設内、子育て支援事業部に就職。職場が変わったら、感じたことのない開放感を感じた。ひたむきで前向きな上司の仕事に向き合う姿に感銘を受けた。ひとつのキャリアを卒業し、新しい社会を知った私は「なんにでもなれるんだ!」と、これまで自分の可能性をどこかで諦めていたことに気づいた。

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さらに7月、うすうす気が付いていた、気づかないふりをしていた、家庭内で幼いころから身に沁みついてきた長女としての在り方に無意識のうちに心身が疲弊していることを認めることになった。家族の前で本心とは異なる態度で振舞う自分をいたわるため、家族との生活から距離を取り単身独立。

その後2カ月が経っても、いつまでもずっと台風の中にいるような、毎日が変化の連続。前職を下回る月収に「変わらなければ。生活のために稼がなければ」という焦りや空回るやる気が、いつもいつも私の体中に覆い被さっている。
働くことは好きだ。でも、私は私の喜びややりがいを感じなければ、心からこの仕事ができて幸せだ~!と感じられなければ、納得できない性分だ。どんなに整った職場環境でも「いつまでここで頑張るんだろう」と気が付けば悶々と考えている。

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そもそも私はずっと憧れてきた音楽療法士としての活動を少しずつ始められているじゃないか。音楽の力で小さな子どもたちや入院患者さん、様々な困難を抱える人の癒しとなり力となりたい。ボランティアではなく、お仕事として。

書くことも大好きだ。人より繊細で、感覚過敏。その場にいるだけで空気感や相手の感情を深く読み取ってしまう私。毎日日記をつけることが、心の安定剤になっている。エネルギーを消費しやすい分、どんなことでどんなふうに感じたか、分かっておきたいから。食べたものや見たもの聞いたこと、会った人、感じたこと。記録して読み返し、自分を知る。だからこそ、エッセイストになる夢もあきらめたくない。

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もう26歳、まだ26歳。
会社勤めに向かない自分をごまかす必要なんてない。周りの友人らが結婚し子どもが生まれても、いくらだって自分のやりたいことをやっていい。

たった1回きりの人生、始まってしまったら終わりがある。私は多分、人よりもそれをよく知っている。人生100年時代と言われるこの社会で、その半分も生きることができなかった母は、命の尊さ、生きることの喜びを自らの人生を懸けて教えてくれた。
私、もっと楽しまなきゃ。まだまだ知らないことだらけのこの広い世界をもっと知りたい。

変化の渦の中、新しい大きな目標ができた。フリーランスとして働きながら、日本の色んな街で暮らしてみたい。海外でだって住んでみたい。

家族に言えば、不器用な私のことを想って無茶だと反対され、心配をかけるのだろう。
でも私の人生は私が決める。もっとやりたいことに向かって動くほか、選択肢はない。

私はただ、私にしかできない特別に与えられた方法で、人生を楽しみたいだけ。