私はもともと、目鼻立ちのはっきりした顔つきをしている。純日本人のはずだが、昔からそうだ。

それだけなら、大変聞こえがいいのだけど。
幼いとき悩んでいることがあった。体毛、とりわけ目立った眉毛の濃さ、太さだ。

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赤ちゃんに毛の生えた程度の幼少期は、そうでもなかった。だけど第二次性徴が始まって、からだの中や外が成長し始めると同時に、私の眉は油性ペンで描いたかと思うほど、輪郭が濃く、太くなっていった。

冗談ではなく、放っておけば左右の眉頭が勝手につながるのだ。
ほんとうに、二重の意味で冗談じゃない。

追い討ちだったのは、私がこの眉が嫌で剃ろうとしたときの両親の言葉。
「子どもは変にいじらずに、そのままが一番可愛いのよ」

冷静に考えて、そんなわけなかった。こんな見た目、お笑い種なことなんて子ども心にもよくわかっていた。
多感な時期に、両津勘吉よろしく、つながった眉毛だなんて耐えられなかったし、剃ったところでイモトアヤコで、クラスの男子には「ゲジゲジ眉毛」なんて言われることもあった。
本当に悲しかったし、DNAを心底恨んだ。両親の目を盗んでは爪の先でつながった部分の毛を抜いて、痛くて痛くて泣いていた。

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思春期になってから、やっと自分用のカミソリを手に入れて、剃ってみたけれどやっぱり最初からうまくできるはずもなくて。気になるところを剃り過ぎた挙句、麻呂眉になることもしばしばだった。
それでも、濃いままの眉毛でいるよりはいいと思った。

中学生の頃、通っていた美容室で眉マスカラを教えてもらい、使ってみることにした。
真っ黒だった眉が、茶色くふんわりとした印象になる。以来、どれだけ急いでいても眉マスカラだけはきっちり施してから外に出るようになった。おしゃれのためというよりは強迫観念に近い。少しでも眉の存在感を薄くしたくて、どうしようもなかった。もう、ゲジゲジなんて二度と言われたくなかったから。
もともと色素の薄い子たちが心底羨ましかった。
私みたいに生え放題の濃い眉より、細くキリリとした眉を目の上に乗せている子が絶対的に可愛いと、知らず知らずのうちに、自らに暗示をかけていた。

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ただ、時代は私に味方したというべきか、いつのまにか「トレンド眉」と呼ばれるのは、細く引かれた眉よりも、自然で整え過ぎない眉になった。

元々がはっきりした形なので、今は少し眉尻と眉頭を整えて、濃いところは間引きして、あとは眉マスカラの色が自然に乗るように、定期的に脱色する程度。簡単な引き算だけで日々を過ごせている。
今になって、こういうふうに、足し算ではなく引き算ができる眉は財産だと思うようになった。まったく眉の形がないくらい薄い友人は、1から10まで自分で描かなきゃいけないのが大変だと嘆いていたから、あれ?私ってもしかして幸せなのかも?と思ったのは、思い悩み始めて10年近く経ってからだ。

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さすがに、何もしなくても可愛いとまで言わないけど、ノーメイクでも眉と唇の色さえ整えておけばそれなりに見られる、自分の顔立ちは嫌いじゃない。
チャームポイントは、そうだな。この自然でふんわりした、眉毛かな。
そう思えるくらいには、自分の一部として愛せるようになったのを、成長したなと思う今日この頃。